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歴代天皇史(藤原北家の繁栄) 

2017年08月11日 外部ブログ記事
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藤原北家の良房が人臣初の摂政として朝廷で力を振るう経過

嵯峨天皇は、在位中に法令の整備も進め弘仁格式として編纂した
 ☆嵯峨天皇が崩御すると、桓武天皇の第三皇子である淳和天皇が即位する
淳和天皇は、嵯峨天皇の第一皇子に皇位を譲って仁明天皇となる
 ☆その皇太子には、淳和天皇の第二皇子・恒貞親王が就いた
「承和の変」
 ☆恒貞親王を奉じて伴健琴、橘逸勢らが謀反を企てていると逮捕され二人は流罪
 ☆恒貞親王も廃太子となる
 ☆藤原北家の実力者、藤原良房が彼らを排斥するために仕組んだ謀略?
藤原北家有力貴族として力を伸ばす経緯
 ☆藤原良房の父、冬嗣は嵯峨天皇に重用された
 ☆冬嗣の娘の順子は、正良親王(仁明天皇)の妃こなり、二人間に通康親王が生まれた
 ☆承和の変後、藤原良房は通康親王を皇太子にする
 ☆天皇の外威として藤原北家が急速に台頭
 ☆仁明天皇崩御後、通康親王(文徳天皇)が天皇に即位
 ☆皇太子に選ばれたのは、良房の娘・明子と文徳天皇の間に生まれた惟仁親王
 ☆惟仁親王は、9歳で清和天皇として即位する
応天門の変
 ☆政務・儀式を行う朝堂院の正門である応天門が炎上する
 ☆伴善男は大逆罪に問われ、伊豆へ流罪となった
事件の最中、藤原良房は人臣初の摂政となる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『歴代天皇史(三栄書房)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています




藤原北家(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)

応天門の変
政務・儀式を行う朝堂院の正門である応天門が炎上する
当初、放火の容疑者として、左大臣の源信が浮上した
官吏の備中権史生らが、放火の犯人は伴善男、伴中庸親子であると訴え出る
伴善男は大逆罪に問われ、伊豆へ流罪となった
事件の最中、藤原良房は人臣初の摂政となる
 ☆跡継ぎの基経を中納言に抜擢する
 ☆姪の高子を入内させ、藤原北家の地位を盤石なものにした

清和天皇は多くの女性を愛した
子孫の多くが、臣籍降下して清和源氏となった
 ☆第六皇子・貞純親王の子、源経基の子孫は繁栄
源頼朝や足利尊氏ら武家源氏の大半がこの系統から出たか、後裔を自称する

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