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歴代天皇史(遷都の歴史) 

2017年08月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



平安時代の天皇史は、繰り返す遷都の歴史

律令国家への移行とともに平城京など数々の帝都が出現する
桓武天皇により長岡京への遷都
 ☆仏教勢力が政治に関与することを嫌い、彼らを排除した天智天皇系の都を造ろうと考えた
 ☆長岡への遷都を発表(仏教界などの反発も強かった)
 ☆天皇の腹心で長岡京の造営を主導していた藤原種継が暗殺される
 ☆この事件を巡って、皇太子の早良親王らが疑われ幽閉された
 ☆早良親王は自ら飲食を断って息絶えた
 ☆桓武天皇の母や皇后が原因不明の奇病にかかる
 ☆東北地方では蝦夷の反乱、長岡京も水害に遭いなかなか完成しなかった
桓武天皇による現在の京都へと続く、平安京が誕生
 ☆不幸を陰陽師に占わせたところ、早良親王の怨霊によるものとされた
 ☆桓武天皇は長岡京からの再遷都を決意し、新都を造営した
 ☆完成した新都は、期待を込めて平安京と名付けられた
頼朝が鎌倉に幕府を開くまで、約400年に及ぶ平安時代が幕を開け
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『歴代天皇史(三栄書房)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています




遷都(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)

ヤマト政権の律令制を取り入れた当初
中央集権国家として基盤を確立した
ヤマト政権では、大王(天皇)や王が住んだ「宮」とは一体のものとした
 ☆王族は、それぞれの皇子宮で育てられ、成人後もそこを政治的本拠地とした
大王(天皇)は即位すると、それまで住んでいた皇子宮へ遷宮して執務を行う

律令国家へ移行する
中国の都城制を模した本格的な帝都、藤原京が誕生する
天皇が住む内裏、政務や儀式を行う朝堂院等、道路によって碁盤目状に区画された
条坊制に基づく広大な街区が造られ、「京」と呼ばれた
平城京にも受け継がれ、ひとつの宮で何代もの天皇が政治を執る

奈良時代中期
政治的混乱や飢饉、疫病などが深刻になる
第45代聖武天皇は頻繁に遷都を行い、世を改めようと試みた
奈良時代後期、孝謙・淳仁天皇を経て、称徳天皇が崩御し、道鏡が追放される
天武天皇系の皇統に代わって天智天皇系の自壁王が即位し光仁天皇たなる
光仁天皇の息子山部王が即位して桓武天皇となる

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