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雑感日記
カワサキ二輪事業と私 その65 平成6年(1994)
2017年08月07日
テーマ:テーマ無し
★平成6年(1994)は、関西国際空港が開港したり、オウム真理教によって松本サリン事件発生というそんな年だった。
私も61才、現役での仕事もまさに最終段階に入った時期だと言っていい。
1990年代の初頭からカワサキの国内市場を担当して、目標であった7万台も達成出来たし、前年には鈴鹿8時間耐久レースの優勝、全国各地でのKawasaki Plaza の展開などなど、新しいカワサキのイメージの創造も順調に推移はしていたのだが、この年には7万台からカワサキの販売台数も減少して短期的な損益を見ると非常に厳しい1年で、少々損益分岐点が高くなり過ぎていたので、この年後半には損益分岐点を4万台までに引き下げて、堅実経営ができるような体制を目指したのである。
この年も、二輪車の中大型市場縮小の傾向は止まらず、自動二輪ではカワサキがホンダを抑えてトップになれたのだが、それを素直に喜んではいられない心境だったのである。
そんな環境の中で、カワサキだけではなく二輪業界全体を何とかしたいという想いは強くあって、特に末端のユーザー対策は、『遊びのソフト会社=ケイ・スポーツ・システム』の活動を中心に、カワサキが先頭を走っていたこともあって、特にホンダさんとは具体的に青山にも何度もお伺いして、業界として具体的に動き始めた年で、これが数年後私の現役最後の仕事となったNMCAの設立に繋がっていくのである。
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そんな業界としての動きは、今は 全国オートバイ協同組合連合会 http://www.ajac.gr.jp/ としてこのような立派な組織になっているが、当時はまだ近畿だけだったかも知れない。
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この年には、大阪では既に、吉田純一さんが、販売店共同組合連合会を立ち上げられていて、このような活動を展開されている。
この年の3月に、吉田純一さんが、当時の柴田・福田・竹重さんたちと一緒に、明石に来られて面談している。どんなお話だったかは定かには覚えていないのだが、日記を見ると『明石屋で会食』とあるので、それなりの対応をさせて頂いたのだと思っている。
吉田純一さんもカワサキのOBだが、単にカワサキだけでなく『二輪業界』として社会貢献しようというスタンスに、当時から共感を覚えていたのである。
この年以降の数年は、カワサキのこともさることながら、二輪業界がうまく回らないかなとずっと思っていたし、具体的にそのように動いたりしたのである。ジェットスキーの関係するパーソナル・クラフト協会PWSAのでは、ヤマハさんとの協働であったが、その協会会長を引き受けていたので、ホントにいい雰囲気での会合を重ねていてし、業界にかをを出されていたホンダ・ヤマハ・スズキのメンバーの方とはホントに親しくお付き合いをさせて頂いていたのである。
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★ そのような私自身の最後の数年の想いと動きではあったが、国内を統括する責任者としては、この年も、苦しい中でもいろんな新しい取り組みの先頭に立っていたのである。
この年から具体的に進めたプロジェクトとしては群馬県の松井田に新しいサーキットをという松井田プロジェクト、二輪専門の自動車学校の設立計画、ジェットスキーのレースの事業化とJJSBAの強化、博多のIMS でのKawasaki Plaza 展開などは、私自身が担当して進めていたのである。
こういう活動が具体的にどんどん進んだのは、株・ケイ・スポーツ・システムの南昌吾常務や渡部達也、Jet Skiでは、鶴谷将俊・藤田孝明さらに、ユーザー対策のソフト分野では谷沢高明、松井田プロジェクトの古石喜代司などのちょっと変わった実力者たちが、夫々に自由に思うままに、頑張ってくれてたからだと思っている。
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★この年の個別問題を時系列に追っかけてみると、
● 2月のJJSBAの総会では前年度全国51戦を各地で展開し、総収入・総支出約190百万円の規模にまで大きくなっていたのだが、引き続いて琵琶湖のワールドカップや千里浜での大会を企画し、7月に開催された千里浜大会では1000台以上のエントリーがある世界最大の大会となり、地元の羽咋町などはギネスブックの登録など真剣に考えたりしたのである。
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これは田崎さんが送ってくれた琵琶湖のレースだが、千里浜ではこんな風景が約1キロ以上に亘って展開して、それは壮観だったのである。
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●4月25日には、SPA 直入に新しくオフロードのコースが出来てその開所式があり、直入町長以下が出席されたし、カワサキ側も多数関係者が出席した。
開会の挨拶を田崎さんがされて最後の謝辞を私が述べたりした。
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●5月8日には関東のつくばサーキットを借り切って『ZEPHYR 8万台、KAZE会員5万人達成』のThanks Fair を開催しているが、カワサキファンたちでサーキットが埋まった。
公表12000人と発表したが、入場料を取ったわけでもなかったので、正確な人数はよく解らないのだが5000〜8000人は、間違いなく集まったのではないかと思っている。
岩城滉一のグループだけでも100名を超すメンバーだ集まったのである。
カワサキの歴史の中で、二輪のイベントでは最高の人数が集まったのではないかと思う。
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★この年から本格的に動き出したのが、阪神ライデイングスクールの有馬さんと組んでの二輪車専門自動車学校プロジェクトである。
当時阪神ライデイングスクールは、鈴鹿サーキットでのレースなどに、チームを出場させていて、そんなご縁で繋がったのである。
『指定自動車学校開設趣旨書』を兵庫県警に9月に提出して、以降約1年掛かって指定免許を取ったのだが、教習場で教えた生徒を試験場での試験に送り込み約30人が連続して合格しないと、その免許は頂けないという、まずは『不可能に近い条件』なのだが、それを見事クリアして免許取得に漕ぎつけたのである。
阪神ライデイングスクールの人たちの献身的な指導があって初めて実現したプロジェクトなのである。
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これは翌年だが、そのオープンのテープカットである。
全国でも珍しい二輪専門の自動車学校で、兵庫県の各自動車学校の二輪担当者なども研修に来られるなど、社会的な役割も十分果たしていた、『カワサキ・ライデイングスクール』だったのだが、何を思ったのか今は廃校になってしまっている。
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ただ単に、『二輪車を作ってそれを売り利益を上げる』のも営利事業だから当然だが、ただ単にそんなことだから、段々と二輪事業も縮小してしまうのだと、私は思っている。
この学校の教室の基準なども非常に厳しくて、その教室を設定するためにこの年、KMJは、その本社事務所を教室とすべく、本社事務所を玉津に移転してその対応を行ったのである。
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★この年、田崎雅元さんは、CP事業本部副本部長だったと思う。
田崎さんとは若い頃の、ファクトリーチームのレース仲間だったし、彼がKMCの社長をしていた時期は、私は企画室長として支えた仲で、この年も国内の殆ど全ての行事や、プロジェクトを事業本部の立場から支えてくれたのである。
自動車学校の教室を確保するために、本社事務所を移転するなどは、なかなか『普通ではできない』ことなのだが、こんな粗っぽいことができたのは、CP事業本部長が高橋鐵郎さんでKMJ社長を兼務して頂いたし、田崎さんが側面から全面協力してくれたからだと思う。
当時は基本的に円高だったし、国内市場が事業本部にとって最重要市場であったこともあるのだが、結構ドラスチックに動けたオモシロい時代だったのである。
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★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています
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