人間観察そして恋そして小説も

歩きスマホが危険な事はとうに知ってるさ 

2017年07月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

歩いていたらすごいスピードの女性が前からスマホ見ながら歩いてきた。思わず避けたら私の後ろのおばさんと正面衝突。ぶつかった二人にけがはなさそうだが、二人とも私を睨んで通り過ぎた。なんで?意味が分からない。悪いのはスマホ見ながら歩いてた女性じゃん。しかし、二人の女性は私を睨みつけて立ち去って行った。お前が悪いんじゃと、いう表情で。理解に苦しむ。スマホ女性は置いてくとして、ぶつかられた方のおばちゃん、恨むのはスマホ女性であって私じゃないだろうに。しかしおばちゃんの手元見て納得した。落ちゲーやってるじゃん。なんてことない。後ろの女性もスマホ見てたのだ。スマホ見ながら私の背中頼りに歩いてたのだろ。そこで急にいなくなって、ゴツン。おばちゃん自分はスマホ見てたから、ぶつかって来た女性もスマホ見てたと気が付かなかったのだ。恨む対象は私しかいない。照れ隠しの意味も含め、私を睨みつけて立ち去ったのだろうが、よくよく考えれば怖い話だ。あの二人、自分達が悪いとは思っていないのだ。冷静になれば、スマホ見ながら歩いていてぶつかれば、当然自分らに非がある事はわかるであろうが、緊急事態時では本音の行動が出てしまう。つまり、あの二人の女性は本能レベルでは、歩きスマホぐらいは許されると思っているのだ。つまり、歩きスマホしながらでも自分には周囲の注意を怠らない観察力はあると思っているのだ。現実にぶつかってるくせに。これは危ない。色んな研究データーから歩きスマホ時の注意力散漫は見てないと同じレベル程度にしかないのだ。歩きながら器用に相手を避けるのは、あれは避けているのではない。避けてもらわさせているのだ。歩きスマホで向かってくる相手に、向かわれる相手は微妙だが、警告を鳴らす。言葉ではないが、相応の雰囲気を。この微妙な空気感を察知し、スマホ人間は避ける事ができているのであって、相手がそのような空気感を出さない建造物ならばぶつかるしかない。駅のホームから落ちたり、横断歩道を赤でも進んだり側道に落ちたり、電柱に当たったり、大小さまざまあるが、歩きスマホをしたことのある者ならば、一度や二度の衝突、もしくはヒヤリハットがあるはずだ。駅の椅子がホームと直角に作られるようになったのもこのスマホ見ながら乗車や、酔っ払いの為であるのは周知の事実だ。手持ちぶたさなのはわかる。正直私も歩きスマホをしたことがある。電柱や停車中の車に当たったことも。歩きスマホほど厄介なものはない。危ないと分かっているが、気が付けばしてしまっている。止められないのだ。ある意味麻薬に似ている。止めましょうと個人に言うレベルは既に過ぎ去っていると思う。いうぐらいでは直らないのだ。外的規制しか方法が無いと思うのだが・・・さあて、どうなることやら。  にほんブログ村

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