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奥州の藤原三代 

2017年07月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



平泉は京都に次ぐ大都市へと発展

初代 藤原清衡
 ☆平和な国をめざして平泉に館を移しました
 ☆東北地方を治めることになった清衡が一番に望んだことは、平和な世の中をつくること
二代目の藤原基衡
 ☆清衡が描いた仏教を中心とした平泉の街づくりをさらに発展させていきました
三代目藤原秀衡
 ☆基衡が造りはじめた毛越寺を完成し、無量光院を建立しています
四代目藤原泰衡
 ☆頼朝からの圧力に抵抗しきれず、義経を攻撃し自殺に追いやってしまいます
 ☆泰衡は頼朝軍の攻撃により、秋田県まで落ち延びましたが、家来によって殺されました
歴史の波に飲み込まれ平泉は滅亡
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用して自分のノートとしてブログを記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・画像・番組等で確認ください
出典、BS・TBS『高島礼子・日本の古都』
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます)












奥州藤原三代(『高島礼子・日本の古都』記事より画像引用)

初代 藤原清衡
平和な国をめざして平泉に館を移す
戦により命を落とした敵味方を含めた人々の霊を慰なぐさめ、弔うために、中尊寺の建立
清衡は、『中尊寺建立供養願文』を書いています
 ☆争いのない平和な国にすることを誓った、宣誓書
清衡は、金色堂はじめ、様々な堂塔を建て、池を掘って庭園を造営し中尊寺を完成させました
清衡は優れた技術者を京都から呼び寄せ、仏像や仏具、仏堂の内陣装飾、経文などを揃えていきました
 ☆金色堂内陣装飾や金と銀で経文を写した写経

二代目の藤原基衡
基衡は、清衡が描いた仏教を中心とした平泉の街づくりをさらに発展させていきました
平泉の南に毛越寺を建立しました
毛越寺の本堂は、我が国で他に例がないほど立派なお寺
現在まで、2度の火災にあい建物は残っていません
 ☆礎石や大泉が池を中心とした浄土庭園は、当時の姿を今に伝えています

三代目藤原秀衡
藤原基衡が造りはじめた毛越寺を完成させ、無量光院を建立しています
 ☆宇治の平等院鳳凰堂をモデルとして造られました
無量光院を中心に、広い範囲の整備を行い、平泉の都市を完成させました
秀衡はついには「陸奥守」という職に任命されます
 ☆名実ともに秀衡は、東北地方の支配者になりました

四代目藤原泰衡
頼朝からの圧力に抵抗しきれず、義経を攻撃し自殺に追いやってしまいます
 ☆「義経を助けると、平泉を攻撃するぞ」
秀衡と義経が死んだことを確認した後、頼朝は平泉へ兵を向けました
泰衡は頼朝軍から逃げ秋田県まで落ち延びましたが、家来によって殺されました
戦火や野火により平泉の堂塔は焼け落ちてしまい、現在に至っています

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