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人間観察そして恋そして小説も
夏目漱石の妻・鏡子夫人
2017年07月13日
テーマ:テーマ無し
夏目鏡子をご存じだろうかかの文豪夏目漱石の細君なのだが・・悪妻との風評もあるが、まあ、漱石が酷い亭主だから都市伝説だとの類もあるが・・・熊本にいるころに、漱石と見合い結婚。(中根)鏡子は、父親が貴族院書記官長の要職で隆盛を極めていたから、鏡子は(尋常)小学校を卒業してからは家庭教師について学校には行かないで勉強した。彼女は、よく言えば大切に、悪く言えばわがままに育てられた。そのことが、後の鏡子悪妻説を助長させたといわれている。 見合いの席で、鏡子は口を手で覆うことをせず、大口で笑ったっり、当時、女性らしい振る舞いせず、漱石はこの奔放な裏表のない鏡子に好感を抱く。また、鏡子も漱石の穏やかな容姿に魅かれ、父(中根)重一は「自分の娘は帝大卒業者でなければ嫁がせない」と公言し、漱石のことをベタ褒めしたこともあって、1895年(明治28年)に結婚した。お嬢様育ちの鏡子は家事が不得意で、寝坊して漱石に朝食を出さぬままに出勤させることもしばしば。鏡子は天真爛漫でおおらかな性格、 今で言うとちょっと天然が入った女性だったようで、 時に、漱石が「お前のやっていることは、不経済極まりない」と注意すると、逆に「眠いのを我慢していやいや家事をするよりも、多目に睡眠をとって、良い心持で家事をするほうが、何倍も経済的なのではありませんか?」と言い返し、漱石を閉口させることもしばしばだった。しかしこの鏡子さん熊本で3年目、環境に慣れない上、初めての子を流産したため、ヒステリー症が激しく、藤崎八幡宮近くの白川井川淵に投身自殺を図った。網打ちの漁師に助けられた。警察や新聞には伏せられたが、そのこともあり、放っておくとどこかに行ってしまうので、 漱石は鏡子と自分をひもで縛って、特に就寝時には、鏡子が外出しないようにしっかりつないでいた”という。夫婦仲はそれほど悪くはなかった。 漱石が英国留学後に神経症を悪化、鏡子や子供たちに対して頻繁に家庭内暴力を振るうようになり、鏡子は周囲から離婚を勧められた時には、「私が嫌で暴力を振るって離婚したいなら離婚します。けれど、今のあの人は病気だから、私達に暴力を振るうのです。治る甲斐もあるのですから、別れるつもりはありません」と、言って頑として受け入れなかった。本当に変わった人だったようだ。孫の半藤末利子(長女筆子と松岡譲の四女、小説家半藤一利夫人)の手記によると、鏡子に悪妻の面はあったものの、性格に裏表がなく、弱いものに対する慈しみの気持ちの強く、子供や孫に慕われる良き母であり良き祖母であって、むしろ非難されるべきは、すぐに妻子に対して暴力を振るう漱石である、と、受け取れる書き方がされている。夏目漱石と鏡子の夫婦は、家庭内暴力夫とヒステリーで悪妻の妻の関係と揶揄されるのは、歳の近い子弟関係の学生たちが広めたウワサに過ぎないと、家族親族は言っている。という形になっている。夏目鏡子の言葉を綴った本「漱石の思い出」 夏目鏡子松岡譲筆録夏目漱石の妻・鏡子夫人の言葉を、松岡譲(漱石門下生の一人で長女筆子の夫)が筆録したもの。これを読めば鏡子と漱石の人物像が浮かび上がってくるらしいが・・私が思うに、結局漱石を看取り、八十を過ぎてまで生き抜いた鏡子との関係は破れ鍋に綴じ蓋、似合いの夫婦だったんだろうなと思うのだが・・・え、何故急にこんな話を書いたかってあはぁ飲み会で漱石の妻のドラマの話になって・・・いい加減な事、口から出まかせ気味に言っちゃって言った事本当かな?とつい心配になりまして調べてみたとま、おおまか、当たっていて、ヤレヤレです・・・(笑) にほんブログ村
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