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宗教史100(正統カリフ時代とウマイヤ朝) 

2017年07月11日 外部ブログ記事
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アラブ帝国とともに拡大したイスラーム教

イスラーム共同体の拡大とアラブ帝国の成立
ムハンマドが没すると、イスラーム共同体(ウンマ)は動揺
ウンマは、ムハンマドの後継者(カリフ)の初代カリフを選出
初代カリフは、ウンマを束ね、マディーナ(メディナ)を拠点に周辺地域への征服活動を再開
ウンマの合議などによって選ばれた4代までのカリフを「正統カリフ」とよぶ
第4代カリフアリーが暗殺され、ムアーウイヤがカリフに就任しウマイヤ朝が成立した
ウマイヤ朝は、アラブ帝国拡大
 ☆ウンマは、ササン朝ペルシアを滅ばした
 ☆ビザンツ(東ローマ)帝国からシリアやエジプトを奪うなど、支配地域を拡大
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『宗教史(成美堂)』






正統カリフ時代とウマイヤ朝(『宗教史(成美堂)』記事より画像引用)

第4代カリフのアリー時代
ウンマ内でカリフの座をめぐる内部抗争が激化
アリーは暗殺され、対立していたウマイヤ家のムアーウィヤがカリフとなる
ウマイヤ家がカリフを世襲しウマイヤ朝が誕生した
ウマイヤ朝も周辺への征服活動を進める
 ☆イベリア半島からインダス川流域に及ぶ大帝国を築きあげた
「アラブ帝国」(ウマイヤ朝)
 ☆支配体制は、特権的なアラブ人が被征服民を支配する

ウマイヤ朝成立で、ウンマが分裂
正統カリフ時代からウマイヤ朝成立期にかけての内紛
ウンマの分派が始まり、2大派閥、「スンナ派」と「シーア派」が成立
第4代カリフとなったアリーは、ウマイヤ家を支持する党派と対立
シーア・アリーから分派したのが、強硬姿勢を貫く「ハワーリジユ派」
ハワーリジユ派は、アリーを暗殺、ムアーウイヤがカリフに就任しウマイヤ朝が成立

今日の二大派閥が誕生
ウンマ内で大多数を占めていたのは、両党派の対立を静観していた中立派の人々
中立派は、ウマイヤ朝成立により、ムアーウイヤを支持する(スンナ派の母体)
シーア・アリーは、ウマイヤ朝を認めず、アリーを初代イマーム(指導者)とする
彼の子孫が代々イマームの権利をもつと考えるシーア派を形成
 ☆シーア派はアリーの子孫の誰をイマームとするかによって分派をくり返す
現在では、シーア派の約90%を「十二イマーム派」が占めている

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