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斜陽の窓辺
生と死を見つめて
2017年06月28日
テーマ:テーマ無し
もう30年以上前になりますが、私の脳裏に未だ赤裸々に残る記憶があります。
当時、或る病院の産婦人科病棟に勤務していた私は、夜勤の中で対照的な2つの場面と向き合う事になりました。
その日の深夜、分娩室に響く産声。
「おめでとうございます!元気な女の子ですよ。」
20代の若い夫婦の間に生まれた新しい命でした。
愛する我が子の誕生に歓喜の涙を流す夫婦の姿は、まさしく至上の幸福を描いたようで、こんな時は私自身も胸が熱くなる瞬間です。
廊下には娘の出産をはらはらしながら見守っていた両親がいて、「おめでとうございます。無事、産まれましたよ。」と伝えると、一気に顔がほころんでやがて嬉し泣きに変わりました。
病院ーと言う、病と闘う場において、産科は唯一「おめでとう」が言える場所なのです。
それから1時間後ー。
ナースコール。
点滅している病室には、余命宣告されていた70代の方が入院中でした。意識はあるものの既に寝たきりの状態で、主治医は夫の付き添いを特別に許可していました。
「早く来てっ」ナースコールを押したのは夫でした。
嫌な予感がして部屋へ駆け付けると、心肺停止の状態。
「早く先生呼んで!!」
心臓マッサージをしながら同僚に叫びました。
主治医が駆け付け、必死に救命処置をする間、夫は茫然と立ち尽くし涙をはらはらと落としていました。
医師から死亡を告げられた瞬間、妻に駆け寄り動かなくなった体を何度もさすりながら泣いていました。
人生の終焉。この夫婦にはどんな歴史があったのだろう。結婚式での誓いー死が2人を分かつまで、愛する事を誓いますか?。この老夫婦の姿こそ、答えだと思いました。
この世に生まれて来た新しい命。人生の始まりの瞬間と様々な人生を生き抜いた命の終わりの瞬間を、同時に体験した一夜でした。
あれから30年以上経ちますが、私自身、最期には「いい人生だった」と言えるような生き様にしたいと思います。
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生と死
最近は平均年齢が高くなったので、だんだんと痴呆になる人が増えいます。
私は痴呆に成ることを肯定しています。それは死の恐怖から防ぐ役目をしているからです。
そうすると「いい人生だった」は言えないで死を迎える人が多くなると思うのですが・・・。
2017/08/23 22:29:04