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世界史(東ローマ帝国) 

2017年06月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



1000年以上続いたビザンツ帝国(東ローマ)

ビザンツ帝国の下、ギリシア正教やビザンツ文化を基礎とする東ヨーロッパ世界が形成された
西ローマ帝国減亡後も、東ロ―マ帝国はビザンツ帝国とよばれ存続した
ビザンツ帝国ユステゴ一アヌス帝時代
 ☆東ゴート王国やヴアンダル王国を減ぼし、旧ローマ帝国の領土をほぼ回復
 ☆『口―マ法大全』もこの時期に編纂されている
スラヴ民族、ササン朝ペルシア、イスラーム勢力の侵入でビザンツ帝国は衰えた
ビザンツ帝国レオン3世の治下で体制の立て直しに成功し、再び繁栄の時代を迎えた
オスマノ帝国の攻撃によリコンスタンティノープルが陥落しビザンツ帝国は滅亡した
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『世界史(成美堂出版)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています




ビザンツ帝国(世界史(成美堂出版)記事より画像引用)

ビザンツ帝国の再生
ヘラクレイオスー世地方の体制を整える
 ☆軍管区制や、軍役と引き換えに兵士に土地を与える屯田兵制を採用
レオン3世の治下で帝国は体制の立て直しに成功し、再び繁栄の時代を迎えた
皇帝が教会を支配する皇帝教皇主義をとる
イスラーム教への対抗から聖像崇拝禁止令を発布した
聖像による布教に努めていたローマ教会はこれに反対
キリスト教はローマ=力トリツクとギリシア正教に分裂
ビザンツ帝国は、ギリシア正教を中心に、ヘレ一ズム・ローマ文化
 ☆文化、さらには西アジアの要素を融合したビザンツ文化を生み出す

ビザンツ帝国の衰退
台頭した大土地所有貴族により皇帝権が弱体化
第4回十字軍では、首都コンスタンテイノープルが一時占領された
オスマノ帝国の攻撃によリコンスタンティノープルが陥落しビザンツ帝国滅亡

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