メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

兵庫県南部の島

侍なら 

2017年06月14日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

日本には明治の初め頃までは、武士にとって腹を切って責任を取ると言うことがあった。
テレビで水戸黄門を見ているからかもしれないが、武士が責任を取らされて、切腹自殺すると言うことがよくある。

「書類がない・怪文書」と言い張っていた人たちは、どうするのであろうか。「ない」と言うのだから出てきたらおかしいことになる。「ない」ものは「ない」と言い張ったらよいのだろうが、国民から見たら、「なんでやねん」と言うことになる。

国会も時間切れ。「よかった、よかった」と言う人々が「賛成! 賛成! 法案が通過して、万歳」を今夜騒ぐのであろう。

大多数の国民が選んだ代表がみんなで決めたことだから、国民も「よかった、よかった」と言うことかもしれない。


洲本の都市部には、明治時代の初めまで、武士階級が城下町として住んでいた。身分制度の変更で、武士階級が士族と卒族に分けられて、分藩騒動が起こり、庚午事変と言う内戦が起こった。蜂須賀の士族階級が一方的に卒族を襲撃して、この騒動が収拾されて士族側の首謀者は斬首、遠島等の刑になり、斬首が軽減されて、切腹になったものもあった。この切腹が日本の切腹と言う責任の取り方の終焉だったかもしれないと言われている。
この事変で、淡路島は徳島から分かれて、兵庫になった、大きな政変だった。

「嘘も方便」と言う言葉もあるからなぁ。明日は集団検診日。便が出ないと、検診の一部がダメになる。日本の何とか省のようにはいかないだろうなぁ。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR







上部へ