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熊本へ(5)〜天草・キリスト教禁教の歴史と牛深ハイヤ節 

2017年06月14日 ナビトモブログ記事
テーマ:お出かけ・海外旅行

三角西港から最終目的地の天草へと向かいました。

天草には、大小120もの島々があります。
三角港から大矢野島、天草上島、天草下島と橋でつながっている道を行き、天草市の中心である本渡まで行きました。

島を結ぶのにアーチ型の美しい橋が架けられています。1号橋から5号橋までを天草5橋と言われています。

途中橋のたもとで車を降りて、綺麗な有明海と海に浮かぶ天草諸島の風景を楽しむことができました。

天草市の本渡では、天草キリシタン館へ寄りました。
天草キリシタン館では、天草・島原の乱の歴史が詳しく展示されていました。

16世紀半ば宗教改革の後ヨーロッパでは、キリスト教カトリック教会は、布教地を日本に求め鹿児島から天草に来ていました。しかし戦国時代の豊臣秀吉は、布教活動を禁じました。

江戸幕府も秀吉の禁教政策を引き継ぎました。
天草・島原の乱は、江戸開府から34年、泰平の世に、過酷なキリシタン弾圧と重税に苦しんでいた天草の農民達によって起こされた江戸初期最大の内乱です。

天草四朗率いる一揆軍は、天草から有明海を渡り島原の一揆勢とも合流し、原城跡に2か月以上籠城し善戦。しかし最後は幕府軍の総攻撃によって鎮圧されました。

以後200年以上も鎖国を続けた江戸幕府のもとで、キリシタンは、禁制下におかれ、「かくれキリシタン」となっていったのです。

明治時代となり禁教が、解かれると宣教師が再び天草に来島し、大江教会や崎津津教会が建てられ、布教活動が行われるようになりました。



天草諸島下島にある牛深は、牛深ハイヤ節発祥の地です。

牛深ハイヤ節は、「佐渡おけさ」や「阿波踊り」等全国に40余りあるハイヤ系民謡のルーツとされています。

ハイヤとは、南風(ハエ)のことで、南風が吹くと、海が荒れ出港できなくなったそうです。

牛深ハイヤ節は、そんな風待ちの酒宴の席で、船乗りたちによって良く唄われたと言います。

船乗りたちによって、次々と港へ伝えられ、その土地土地の民謡にハイヤが取り入れられ、全国に広がりました。
毎年4月に開催の「牛深ハイヤ祭り」は、天草の春の風物詩で、大変賑わうそうです。

天草は、大きい島で今回時間がなく牛深までは、行けませんでした。

帰りは、天草から宇土市まで戻り、九州道を一路博多まで帰りました。

写真左:天草市本渡にある天草キリシタン館。
写真右:上天草市の天草松島付近。



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きらさん

hillさん

コメントありがとうございます。
天草へ旅行されたのですね。

熊本から遠いし天草自体が、かなり大きな島から
出来ているので、なかなか廻れない所ですね。

キリシタン館は、入口にエスカレーターもあり、最近リニューアルされたようでしたね。

2017/08/02 06:54:54

天草

きらさん

天草へ行かれたんですね?!

3〜4年前に私も行きました(旅行で)
熊本からレンタカーで

キリシタン館 行ったかな??
こんな門構えだったっけ? と思いながら
拝見してます。。。(><)^^

時間なく廻れてないんですが
の〜〜んびりと いいとこでした^^

2017/07/30 22:27:41

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