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のびたの日記

新緑に歌声乗せてバスは行く その1 

2017年05月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



46名の女性を乗せて うたごえバスは 朝ドラの 「ひよっこ」の舞台 奥茨城方面へ走る
まずは その朝ドラを皆さんで見る 家で見ている方も居るが 昨日だけはバスの中だ
あの向島電気という脚本の設定 私たちは その地域に住む墨田 江東 の下町の住民でもある
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皆さんが楽しみにしていた うたごえバス 走り出せば全員が女性 おしゃべり指数はヒートアップする
お天気も私たちに味方 晴天で 水戸あたりの最高気温は30度まで上がった
窓外は新緑 目に鮮やかである 時折目にする田んぼは 既に田植えも終わって小さな稲が整列している
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友部SAでトイレ休憩するが そこかしこに ツバメが巣を作り忙しそうに出入りする
この姿が可愛く みんなで感心しながら様子を見ていた 頻繁に親が餌を運んでくる
ひなが一斉に大きな口をあけ ぴいぴいと合唱する 6羽くらい居るが一回に与えられるのは2羽が限度だ
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最初の目的地は 歌謡界の巨匠 吉田正先生の故郷にある 日立市の吉田正音楽記念堂だ
その前に先生のことについて私が皆さんにレクチャーをする 添乗員から講師に変わると真面目に聴く
『異国の丘』 吉田正さんが 満州派遣の頃 同志の士気高揚のために作られた元歌である
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「昨日も今日も」 これが原曲である
♪ 今日も越え行く 山また山を ?馬(あお)よ辛かろ切なかろ
我慢だ待ってろ あの嶺越えりゃ 甘い清水を汲んでやる
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終戦を迎えて多くの人がシベリアに抑留された その数60万人ほど 現地で亡くなった人も数万人である
抑留生活は過激な労働 食べるものも収容所の雑草も無くなるほどだったと 先生が生前語られていた
そんな中で この歌が密かに替え歌になり いつか日本に帰ろう みんなで励まし合っていたのである
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先に帰国した 抑留者の一人がラジオののど自慢で歌ったところ 聴いた方の感動となりヒットして行った
先生が帰国した時は 『異国の丘』として すでに大ヒットしており その後作詞作曲が吉田正と知られた
音楽は人生を変える テレビ番組で語られていたのを私も思い出す
こうして大作曲家として数多くの作品を残していくが 橋幸夫さんは愛弟子の代表的存在である
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記念館は日立市の高台にあり 視線の向こうに街と 太平洋がある
この街もあの東日本大震災の時は津波の被害を受け この記念館敷地も災害避難者仮設住宅も出来たと言う
今は平和に穏やかな歌の故郷 時にはここで 歌声喫茶も開催され 人気ですと館の方が話されていた
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吉田正作曲 数多くあるが 私たちが 歌声でも歌う曲 もちろん バス車内でも歌ってきた
有楽町で会いましょう いつでも夢を 寒い朝 美しい十代 街のサンドイッチマン 伊豆の踊子
その他では 夜霧の第二国道 霧子のタンゴ 東京ナイトクラブ 再会 潮来笠 傷だらけの人生
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移動中のバスは カラオケを利用しての 全員合唱である
私が勝手に選曲して次から次へと流すが 皆さんの元気の良いこと 改めて感心する
一時間位続けても全く動じない 少し休ませると 今度は賑やかにおしゃべりが始まる
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お昼近くではあるが 大洗にある 「めんたいパーク」 に着いた
めんたいの大手メーカー 「かねふく」のテーマパークである
買い物にいそしむ女性 どこにでも売店があれば 買い込んでくる 私も めんたいは好き 密かに買ってきた
ここで嬉しいことがあった クラブツーリズムの添乗員の女性と会った 退職後初めての再会である
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しっかりと覚えていてくれた 私はと言うと顔は分かるが名前は出て来ない 
彼女は 初めて新人として添乗 その指導にあたったのが私であるから絶対に忘れられないと喜んでいた
そして 今は私がベテランになって 今日は新人を台数口で指導しているんですと笑っていた
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どうしても細かくなっててしまい長くなるのが私の旅行記 明日へ続けますね
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    最後までお読みくだ-さいまして有難うございました m(_ _)m
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