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兵庫県南部の島

庭園で文化財 

2017年05月15日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

洲本市の文化財になった庭園の益習館の庭園は、かなり大きな石が使われていて、灯篭も大きな石を使っている。土日祝日は公開されていて、城下町洲本の街歩きのコースになっている。

確かに洲本市の中心部は城下町の町割りがされていて、町内会の組織も城下町時代の名称を使っているようである。しかし、洲本市は徳島藩の支配地であるから、本当の城下町は徳島市と言うことになる。

蜂須賀氏が支配していた江戸時代には、洲本の海岸に近い位置に石垣と堀を備えた御殿を作り、城下町の体制を作った。三熊山の頂上に洲本城を作ったのは戦国時代頃の安宅氏と織田・豊臣時代の脇坂氏で、関ヶ原戦時代以後は藤堂氏のような武将から、池田氏になったが、池田氏は淡路の北端に城を作ったり、南部の由良に城を作ったりして、大阪の陣に備えたようである。

益習館は徳島藩の家老の稲田氏の家の一つで学問所にして、ここで稲田氏の家来のような侍や庶民にも学ばせたようである。稲田氏は15000石を持っていたから小さな大名並みの経済力を持っていた。幕末の頃には討幕派の人々も呼び寄せて、学問をしていたようである。
この庭園に使っている石材は、付近にある和泉砂岩層の堆積岩が多い。少し北の御影石もある。三波川変成岩もあるが、多くはない。



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