メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

ZRX1200S城

浜田護国神社・浜田城址 浜田市 

2017年05月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

浜田護国神社・浜田城址 浜田市
境内


護国神社拝殿


浜田歩兵第21連隊に所属していたラッパ手・木口小平のブロンズ像
敵の弾を受けてもラッパを放さなかったいう





本殿


護国神社横より登城できます





浜田城は鴨山、神山と呼ばれた標高68mの小高い丘に
大坂の陣の功績により古田重治が五万四千石を与えられ
入封し元和六年(1620)年から築城を開始しました。


この際、丘の名前を縁起の良さから「亀山」と変えます。


城と城下町は元和九年(1623)に完成しますが、
古田氏は慶安元年(1648)2代藩主の古田重恒の時代にお家騒動を起こして改易されてしまいました。
 
その後、松平康映が五万石で5代続き、以後本多家、松平家、越智松平家が領有、譜代大名や親藩が配されます。


幕末の慶応二年(1866)の第二次長州征伐の際には、長州藩の大村益次郎が進軍してくると藩主の松平武聡は
戦わず逃走。
この時に敗残兵たちが城と城下町に火を放ったため、
灰燼に帰しました。



















本丸


報国忠勇之塔
砲身と砲弾が設置されていたが昭和18年に供出

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ