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キリスト教徒の「祈り」 

2017年05月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



祈りとは「神との対話」だと捉えます

キリスト教、イスラム教の神は全知全能の神
「神」は、我々が祈らなくても我々が何を必要としているのか知っているはずです
「祈り」をすることを推奨します
「祈り」を通じて神の存在を感じます
 ☆自分に与えられたものが神の力によるものだという認識を強めます
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、YAHOO知恵袋より


祈り(ネットより画像引用)

モーガン・フリーマンが神様を演じたときの印象深いセリフ
神に『我慢強くなりたい』と祈っても、神はあなたに『我慢強くなる力』を与えるわけではない
神は『我慢強くなる機会』を与えてくれるのです
祈らなければそういった機会が訪れたことに気付かぬままやり過ごします
 ☆祈ることで自分自身を見つめなおす
 ☆その機会が与えられたことに気付くことができるようになります

神に願いごとをする場合
自分自身の心の中を整理する必要があります
 ☆お金が欲しい、名誉が欲しい、権力が欲しい、人間の欲望は際限がありません
神を畏れ敬う人なら
 ☆必要なものは何であるか自問自答した上で祈りを捧げています
お願いが「神の意思」から湧き出るものなのか? それ以外のものか?
 ☆悪いものの誘惑によるものや自分自身によるものなのか
そのためにもキリスト教徒は、聖書の勉強を欠かしません

聖書の勉強で「神の意思」を感じ取り「祈り」の準備します
「祈り」という行為を通じて、神に願いや感謝の気持ちを直接伝えるのです
 ☆自分勝手な祈りをしたのではないか?
 ☆神が自分に対して何を求めているのか見失うことがあります
 ☆そういう自分の不完全さを告白することも祈りです
自分の道を指し示してくれるように願うことも祈りだと思います

神との「対話」とは?
実際は祈った時点で神の声が聞こえることはありません
しかし、様々な形で「神の声」を具現化してくれます
 ☆仕事で行き詰って祈りを捧げた場合
 ☆上司や同僚の良いアドバイスを受けたならそれは「神の声」だったのではないでしょうか
神は常に何らかの形でその力を私達に示してくれています
祈らなければそれが神の力であることを認識するのは不可能です

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