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Jii−Jiiの日記

仏の御名を きくひとは ながく不退に かなうなり 

2017年04月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「仏の御名を きくひとは ながく不退に かなうなり
法話
私は一週間のうち、半分を京都で単身赴任、半分を福岡で家族と過ごしています。

金曜日の夜に帰省すると、子どもがわあっと寄ってきてくれます。私は普段、妻にまかせきりの子どもの教育を、せめてこの週末くらいは、と意気込んでやってみるのですが、優しく言うのも初めのうちで、疲れてくると、いったい叱っているのか、単に怒っているだけなのか、自分でもわからなくなってきます。先日も、やり過ぎてしまったようで、とくに私についてまわる、四歳の三男にさえ「お父さん、もう京都に戻っていいよ」と言われてしまいました。

そんな私が、子どもに何を言っているのかというと、大半は「早くやりなさい」ばかりです。しかしながら、ふと、私はあんなに急がせていったい何をさせたいのだろうと思うと、答えはなかったりします。

そんな時、『無量寿経』の「世の人、薄俗にしてともに不急の事を諍ふ(世間の人々はまことに浅はかであって、みな急がなくてもよいことを争いあっている)」(『註釈版聖典』五四頁)
との言葉を思い出して、その的確さが可笑しくもある一方、親としての未熟さにはため息がでます。本当に急ぐべきことは他にあるのです。

今月のご和讃をすべて示せば、次の通りです。 たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて 仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり
(『註釈版聖典』五六一頁)」

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