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藤堂高虎「築城の名手」&「裏切り者」 

2017年04月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



藤堂高虎(「裏切り者」「風見鶏」何度も主君を乗り換えた)

「築城の名手」か?「裏切り者」か?戦国の猛将藤堂高虎の正反対の評価
天下を揺るがす徳川家康暗殺計画、高虎の決断は、徳川家康を護った
「築城の名手」と称され尊敬を集めた藤堂高虎
 ☆築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城などを築城
 ☆黒田孝高、加藤清正とともに築城の名人として知られる
 ☆高虎の築城は石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴がある
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、NHKBS番組『英雄達の選択』、WIKIPEDIA
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます)












藤堂高虎(『英雄達の選択』番組画面引用)

藤堂高虎の浅井家臣時代
浅井長政に足軽として仕え、姉川の戦いに参戦して首級を取る武功を挙げる
浅井氏が織田信長によって滅ぼされると浅井旧臣2名に仕えた
信長の甥・織田信澄の家臣として仕えるも長続きしなかった

藤堂高虎の豊臣家臣時代
信長の重臣・羽柴秀吉の弟・秀長300石で仕える
但馬国の土豪を討った功績により3,000石の所領を加増され鉄砲大将となった
秀長のもとでは中国攻め、賤ヶ岳の戦いなどに従軍する
四国攻めにも功績が有り、1万石の大名となった
慶長の役にも水軍を率いて参加し帰国後加増されて8万石となる

藤堂高虎の関ヶ原の戦い
秀吉の死去直前から徳川家康に急接近する
高虎は武断派の諸将に先んじて徳川家康側に与した
 ☆伊予国における毛利輝元の策動による一揆を鎮圧
 ☆脇坂安治、小川祐忠、朽木元綱、赤座直保らに東軍への寝返りの調略を行っている
戦後、これらの軍功により家康から加増され、20万石大名となる
高虎は新たな居城を今治城に定めて改築を行う
 ☆宇和島城には高虎の従弟藤堂良勝が城代として置かれた

藤堂高虎江戸時代
大坂冬の陣、大坂夏の陣でも徳川方として参戦
家康死去の際には枕元に侍ることを許された
家康没後は第2代将軍徳川秀忠に仕えた
藩内での政治への取り組み、藩政を確立した
 ☆上野城と津城の城下町建設と地方の農地開発、寺社復興に取り組む
幕府の命令で陸奥会津藩と讃岐高松藩、肥後熊本藩の後見を務めた

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