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旧平良村慰霊碑廿日市市 明治の砲身 

2017年04月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

旧平良村慰霊碑廿日市市 明治の砲身
旧平良村慰霊碑 

砲身が横たえられています。
慰霊碑が出来た当初は慰霊碑の上に立てられていました。
昭和44年に下され慰霊碑横に安置

桜満開です

大正十三年に平良村在郷人分会が呉より下付を受け、
速谷神社に奉納されたものです。

よくこんなに長いのを慰霊碑に乗せていたものだ


長さ約6.3メートル



大正13年1月10日 呉鎮長官宛に訓令
  
廃兵器無償下附ノ件
其ノ対軍需部保管ノ左記廃兵器ヲ附記ノ者ヘ無償下附方取計フヘシ 但シ現品搬出ニ要スル費用ハ下附ヲ受タル者ノ負担トス
右訓令ス

右国幣中社速谷神社備付用記念品トシテ帝国在郷軍人会岩国支部平良村分会長ヘ下附
一、四十五口径四一式十五糎砲砲身番号室八 
砲架番号 呉二〇号 一門



呉二〇号は一等戦艦周防の砲身だったらしいですが
一月に現物を見に行ったところ錆がひどく、砲身が十五度も
曲がっていたため再度嘆願し別の砲身に替えてもらっています。


6月に代わりの砲身が決定
大正13年6月27日 呉鎮長官宛に訓令
 無償下付廃兵器ノ件  
帝国在郷軍人会岩国支部平良村分会長ヘノ無償下付廃兵器ヲ
左ノ通改ム
右訓令ス

一、四十五口径安式十五糎砲砲身 呉十三号 壱門
一、三十六糎魚形水雷 頭部共 壱個 
 
この砲身は呉13号、45口径アームストロング式15Cm砲です
魚雷は今、どこにあるか不明です  

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