メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

日々是好日

生活と文化 

2017年03月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 読書(オーディブル)「新・平家物語」


 写真は吉川英治著・「新・平家物語」16巻。先日、15巻中、平家都落ちの中で薩摩の守・忠度(平家公達の中で和歌の名人といわれた)について書きました。第16巻は39章あり、一章15分程度ですから16巻だけでも聞き終えるのは10時間かかります。16巻は木曽義仲が平家を都より追放したのち、代わって都で後白河法皇を守護することになります。その後、頼朝の命を受けた義経が木曽義仲を都より追放する場面です。能では平家物語から取材するものが多いのですが(後述、ご参照)16巻では「木曽」、「巴」等がその対象になっています。「新・平家物語」は口語で、且つナレーターが「語って」くれますので分かりやすく、大変面白いです。ここ数日で16巻の35章まで聞きました。このところ睡眠時間がどんどん少なくなって体調管理が心配です。

 ウキペディアによれば木曽義仲について下記の記述があります。
 源 義仲 (みなもと の よしなか)は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲(きそ よしなか)の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍(あさひしょうぐん、旭将軍とも)と呼ばれている。
以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。連年の飢饉と平氏の狼藉によって荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安維持の失敗と大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和となる。法住寺合戦に及んで法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍[注釈 1]となるが、源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれた。
『新・平家物語』(1972年NHK大河ドラマ 原作 :吉川英治『新・平家物語』)はTVや映画でも著名です。

 「平家物語」の原作の作者については古来多くの説がある。最古のものは鎌倉末期に成立した吉田兼好の『徒然草』で、信濃前司行長(しなののぜんじ ゆきなが)なる人物が平家物語の作者であり、生仏(しょうぶつ)という盲目の僧に教えて語り手にしたとする記述がある[1]。
「後鳥羽院の御時、信濃前司行長稽古の譽ありけるが(中略)この行長入道平家物語を作りて、生佛といひける盲目に教へて語らせけり。」(徒然草226段)

平家物語に取材された能は以下の通り
『朝長』
『鞍馬天狗』
『熊坂』
『烏帽子折』
『七騎落』
『頼政』
『実盛』
『木曽』
『巴』
『兼平』
『敦盛』
『小督』
『通盛』
『経正』
『忠度』
『知章』
『船弁慶』
『橋弁慶』
『景清』
『俊寛』
『俊成忠度』
『屋島』
『碇潜』
『千手』
『盛久』
『大原御幸』
『正尊』
『吉野静』
『安宅』
『摂待』
『大仏供養』
『二人静』
『生田敦盛』
『熊野』

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ