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「開国」に揺れた政治家たちの知恵 

2017年03月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



国の舵取りを任された政治家はどう行動したらいいのか?

国論を二分する争い
 ☆「開国」を推し進めようとする幕府の大老・井伊直弼(なおすけ)達
 ☆「攘夷」を主張する徳川斉昭(なりあき)達
立場は違えども「いかに国を守るか」という同じ志を持つふたり
幕末の政治家の知恵
 ☆稲田防衛大臣少し勉強したら?(答弁内容政治家としての資質を問われる)
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、NHKEテレ番組『知恵泉』、WIKIPEDIA
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます)
















政治家(『知恵泉』番組の画面引用)

井伊 直弼の幕末の活躍と運命
幕末期の江戸幕府にて大老を務め、日米修好通商条約に調印
日本の開国近代化を断行した
強権をもって国内の反対勢力を粛清したが(安政の大獄)
反動を受けて暗殺された(桜田門外の変)
大獄を行って以降は井伊の赤鬼の渾名でも呼ばれた

井伊 直弼の生涯
兄弟が多かった上に庶子で、養子の口もない
父の死後、17歳から15年間300俵の部屋住みとして過ごした
花の咲くことのない埋もれ木に例え、埋木舎と名付けた邸宅ですごす
茶人として大成し、和歌や鼓、禅、兵学、居合術を学ぶなど
彦年藩跡継ぎの予定の兄が亡くなり、兄弟も他に養子として出ていた
幕末の譜代大名、近江彦根藩の第15代藩主となる

徳川斉昭幕末の活躍と運命
老中首座・阿部正弘の要請により海防参与として幕政に関わる
水戸学の立場から、斉昭は強硬な攘夷論を主張した
江戸防備のために大砲74門を鋳造し弾薬と共に幕府に献上している
将軍継嗣問題及び条約調印をめぐり、井伊直弼を詰問
 ☆直弼らから、江戸の水戸屋敷での謹慎を命じられ、幕府中枢から排除された
 ☆孝明天皇による戊午の密勅が水戸藩に下された、
直弼の怒りをかい、政治生命を絶たれる形となった(安政の大獄)
蟄居処分が解けぬまま水戸で急逝した

徳川斉昭の生涯
江戸時代後期の大名(親藩)、常陸水戸藩の第9代藩主
江戸幕府第15代将軍徳川慶喜の実父である
藩政改革に成功した幕末期の名君の一人です
斉昭の改革
 ☆「経界の義」(全領検地)☆「土着の義」(藩士の土着) ☆学校の義(藩校弘道館建設)
国民皆兵路線を唱えて西洋近代兵器の国産化を推進していた
影響力は幕府のみならず全国に及んだ

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