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仏教(明治政府と廃仏毀釈) 

2017年03月14日 外部ブログ記事
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国学の影響が濃い明治政府の意向で、寺院や仏像が徹底的に破壊された

江戸時代とは逆になった、明治新政府の宗教政策
 ☆江戸時代にも、朱子学(儒学)や国学の立場からの仏教批判もありました
明治新政府は、神仏分離令を発布し神社が仏像をご神体とすることを禁じた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『仏教(成美堂出版)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています






仏教(仏教(成美堂出版)記事より画像引用)

明治政府「大経宣布」の詔を発し神道を中心とした国民教化を目指した
仏を主(本地)、神道の神を従(垂迹)とする神仏習合を見直す
儒教や仏教の思想を交えない、日本古来の神道(復古神道)を国教化するという宗教政策
復古神道は江戸後期の国学者平田氏が説いたものです
 ☆平田派国学は、尊王攘夷派や討幕の志士たちに多大の影響を与えた
明治政府はその様な人々が立ち上げた政府です
全国の神社を官幣社や国幣社に分ける神社制度を設置
 ☆神社の組織整備や祭式の統一などが進められた

仏教排斥運動の嵐
日吉大社(大津市)に、武装した神官がなだれ込んだのがスタートです
 ☆境内の仏像や仏具、経典を焼き捨てた
仏教排斥運動の先頭に立ったのも平田派の国学を学んだ神官や村役人
全国各地で、寺院や仏像、経典などが破壊・焼却された
国民の間に浸透していた仏教の排斥は十分には受け入れられず
 ☆廃仏毀釈もやがて退潮に向かう
明治政府も、仏教界が政府の方針に従うことを条件に仏教を認める政策へと転換

黄門様も行った江戸初期の廃仏毀釈
僧侶が、江戸幕府の保護政策で胡坐をかいて堕落した
徳川光圀も、藩内の仏教勢力に対して厳しい政策で挑んでいる
神社を保護する一村一鎮守制を施行した
藩内の寺院の半数にあたる約1000の寺院を廃寺とし破戒僧を還俗させた

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