人間観察そして恋そして小説も

タモリと橋田壽賀子の友情論 

2017年02月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

まずはこの記事を読んでください 「私には友達がいない」――そう話すのは、作家の橋田壽賀子さん(91才)。本誌・女性セブンでもお伝えしてきたが、夫と死に別れ、子供も親戚もいない橋田さんは安楽死を熱望している。多くの同級生はすでに鬼籍に入り、今や心を残したり、残されたりする友達もいないから、認知症になったら安楽死で逝きたいというのだ。「だからタモリさん(71才)がおっしゃることはよくわかるんです。もう友達はいりません」 橋田さんが賛同を示したのは、タモリの『SMAP×SMAP』(フジテレビ系。12月19日放送)での発言だ。「友達なんかいらないって。(だから)どんどん友達減らしていってるの。切ってくの」 メンバーを前にそう淡々と話したタモリに、「救われた」「本当にわかる。友達は少なくていい」と、共感の声が広がっている。「“友達を切る”って言葉には、ぼくなんかはドキッとしてしまうんです」 そう話すのは、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授の前野隆司さん。前野さんは脳・ロボット学者として、認知科学や心理学を活用して人間の幸福のメカニズムを研究している。それによれば、友達の数が多い人ほど幸せということがわかっているという。「ここでいう友達は、“多様である”ことが条件。職業、年齢、性格、国籍…自分とは違う種類の友達を持っている人の方が、そうでない人よりも幸せということがわかりました。いつも同じ人とつるんで過干渉になっていくよりも、たまに会うくらいの友達がたくさんいた方がいいということですね」 ざっとこんな記事。じゃあ橋田さんやタモリさんは友達がいないのだろうか。幸せじゃないのだろうか・・・ 友達がたくさんいた方が幸せである・・という意見は、一見真実をついているようだがうさん臭さを感じる。人との悩みの98パーセントは人とのかかわり合いから生まれてくる。関係性こそが実は悩みの本質であり、原因なのだ。 友達という概念は実に曖昧だ。関係性に、仕事上の付き合い、友情、親友の線引きなどできないし全ての関係性を親友関係にするか否かは本人の気持ち次第だ。 親友関係は実は、親友が多い少ないでなく、関係性の多い少ないの話なのだが、それだけでは面白くないらしい。しかし関わり合いこそが実は友情であり親友の本質なのだ。一般の社会生活をしていれば、実は誰にも友人はいるのだ。ただそれが友情だと認めていないだけなのだ。友情とはもっと高貴で意味深いものと信じて疑わないのだ。 医師と患者、先生と生徒、先輩と後輩どれもみな関係性だけを文字面に当てはめるが、実はこれも立派な友情なのだ。友情とは信頼であり、信頼とは信じる事だ。医師の前で無防備に胸を晒すのも、教師に相談するのも、先輩に恋の話をするのも、信頼していればこその話だ。信頼は友情であり、友情は信頼である。 友情なんて概念は実は絵空事の言葉で、愛やら恋やらの言葉と似ている。空想で、本当の友情など、おかしな究極論を持ち出すが、友情は実はリアルタイムに発生しすぐ消える。概念だからだ。 私達が思う、心に残る友情関係は、実は友情という概念の残滓で、空想の産物でしかない。目に見えないのだから。空想の残滓を後生大事にし、それを拠り所に生きていける力こそが、実は友情の友情たる証であり、価値であるのだが、それを人は認めようとしない。どこかに本当の友人が存在すると思っているのだ。事の真実は、突き詰めないほうがいいこともある。 友達の数が多い人ほど幸せということがわかっている・・・というこの言葉は、そういう意味でなら真実を語っていると言わずばなるまい。 勿論私もこの意見に、まったく賛成だ。  にほんブログ村 心理学 ブログランキングへ 

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