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たかが一人、されど一人

精神年齢? 

2017年02月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

皇太子殿下が既に57歳になられたとのこと。昔は随分お若いと思っていたが、今となると年齢差をさほど感じなくなってしまう。時の流れだけは万人に公平である筈だが、ある時点から年齢差の感じ方が違ってくるのが面白い。こちらの成長が止まり、相手が成長し続けるからだろうが。成長云々は肉体上の問題でなく精神的な問題であるのは言うまでもない。精神なんてことも随分抽象的で、正直なところ具体的に何を意味するかよく分からない。知識とか知恵と言えば少しは分かるような気もする。一昔前は精神教育なんて言葉もよく聞いたが最近あまり流行らなくなった。ところがここに来て大阪・森友学園の小学校建設が社会問題となり、関連で系列の塚本幼稚園の教育方針が報道で取り上げられて、急にその懐かしい言葉に巡り合った思いだ。初等教育の狙いの一つには、児童に知識や知恵を授けることで精神の健全化を図ることもあるだろう。幼稚園児に教育勅語を丸暗記させることが、必ずしも精神衛生に悪い影響を与えるとは断言しかねるが、素晴らしい教育効果を上げるともチト考えにくいように思う。問題は総理夫人がこの幼稚園の教育方針を絶賛ことである。誰かのご夫人が飲み屋を持とうと、一私率幼稚園の教育を絶賛しようと勝手だろうが、総理夫人となると如何なものだろう?総理大臣自身もご夫人の話を聞いて感心したと公言している。公人であれ私人であれ、個人の思想信条に言いがかりをつけてはいけないかもしれぬが、どうしても気になる。健全な精神とは何ぞやである。先日読んだ本に「政治家の知性の貧困」を嘆く1節があったのを思い出す。それも困るが、指導者の精神が左右のバランスを欠いたらもっと大変だ。世の中には極右から極左まで様々な人がいるのだから、どこが中道か又は何を以て精神のバランスかと問われても答えに窮するのも事実だ。まして、総理がややどころかかなり保守的であるのも周知のことだ。その彼を国民が民主的な選挙で選んだのだから、気になるこちらの精神バランスが狂っているか、精神年齢が未熟なのか。兎も角気に入らぬ世の中だ。

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