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独りディナー
ジャガイモの夕食
2017年02月10日
テーマ:美術
当地では今、「ゴッホとゴーギャン展」が開催されている。
ゴッホと言えば、まず思い出すのは初期の作品で「ジャガイモの夕食を囲む五人」の絵である。
タイトルを正確には覚えていないけれど、この作品はちょっとショックだった。
全体に暗い絵ではあるけれど。
「夕食」という、一日で最も楽しい(私にとって)時間が、こんな風に、只空腹を満たす場、として描かれて居ることに、私は単純にショックを受けた。
初めて見たのは、オランダのゴッホ美術館だった。
それは、貧しい労働者家族の、夕食の情景であった。
中の二人は、その節くれ立った手で、中央のお皿に並んだジャガイモに、フォークを突き刺そうとしている。
そして、他の一人は、コーヒーらしき飲み物を、カップに注いでいる。
それだけである。
労働から解放された、喜びの時間にはとても見えない。
そして、そんな食卓の飲み物が、コーヒーであるという、私にとっての違和感。
貧しい昭和の時代に育った私にとって、コーヒーという響きには、お洒落なイメージが伴うけれど、西洋の庶民にはそれが日常なのだという、ちょっぴり新しい発想。
その美術館には、ゴッホの作品ばかりが沢山並んでいたけれど、多分初期の作品だから入ってすぐ展示されていたのだと思う。
二度と来るとは思えない美術館だったけれど、私はその作品だけでもう、殆ど満足していた。
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彩さん!
私も、ゴッホが特に好きな画家、というわけではありません。
むしろ、上記の絵は、所謂ゴッホらしさから離れていたから、心に留まったのだと思います。
ゴッホ美術館では彼の晩年の作品に、ちょっと惹かれました。
「烏の居る麦畑」でしたか・・。
大きな作品がいくつか並んでいましたが、青が渦巻くような印象の絵には、狂気が感じられて。
もし、私がもう少し精神の平衡を失って行ったら、こういった絵を描くかもなぁ、等と不遜なことを考えたりしながら、深く同調しました。
2017/02/11 10:25:56
遠野 怜さま
コメントありがとうございます。
私には、この作品に関して何かを喋れるような、見識の高さは勿論ありません。
只、あの絵が私に与えた印象の強さは何だったのだろう、という思いですね。
彼らにとっての夕食の意味、だとか。
貧しい生活をする者達の人生とは、だとか。
もしかしたら、彼らには信仰という救いがあったのだろうか、とか。
あのリアリティー豊かな表現の中には、仰るように、厳粛な何かが流れていますね。
2017/02/11 10:07:33
同じ思いに至りそうです。
シシーは、ゴッホの実物作品から
その迫力を目の当たりにされ、
良くも悪くも圧倒されたということ
だったのでしょうか!?
ゴッホ初期の代表作というので
『馬鈴薯を食べる人たち(食卓についた
5人の農民)』をググって観てみました。
まだ精神を病んでいない初期の作品とは
言え、その後の作品も胃のあたりが
ざわつく気持ち悪さを感じるものが
多い気がします。
私には苦手な作風です。
>私はその作品だけでもう、殆ど満足していた。
私もそんな想いに至る気がします。
2017/02/11 07:59:38
ファン・ゴッホ美術館...
1973年の創立当時私も訪れました。(近接するアム
ステルダム国立美術館と対照的な印象ですよね)
1999年オープンの別館は黒川紀章設計で、それまで
本館にあった(ゴッホが傾倒した)浮世絵等はそこ
に移りましたが。シシーマニア様には勝手に華やか
なイメージを持っていたので、「馬鈴薯を食べる人
たち(食卓についた5人の農民)」とは少々意外で
新鮮な驚きを感じます... 1885年の最終バージョン
ですよね、ご覧になったのは多分それかと。
「僕はこの絵で何よりも、ランプの下で皿に盛られ
た馬鈴薯を食べる人々の手が、大地を耕していた手
であることを明確に表現することに力を注いだ」と
制作後記されていますが(書簡集等)、闇のなかに
浮かび上がるかのような生活風景のなかに、聖画の
如く厳粛性を感じさせる... 不思議な作品ですね。
2017/02/11 03:35:52
五喰楽さん
私には、さつま芋をおやつに食べた記憶がまるでありません。
北海道は、産地ではなかったからでしょうか・・。
でも、ジャガイモもおやつとしては食べたことがないですね。
これは単に、母がおやつに手を掛けなかったからかも知れません。
市販のビスケットとか、キャラメルだった気がします。
2017/02/10 18:54:28
村雨さん
そうでしたか・・。
ジャガイモは栄養源だし、産地によっては美味しいですものね。
ゴッホの絵には、ジャガイモを作る人や収穫する人なども沢山出てきます。
きっと、オランダのジャガイモはおいしいのでしょうね。
2017/02/10 18:50:23
さつま芋
国立演芸場のロビーからです。
今日のトリは、小遊三師匠です。
子供の頃、3時のおやつに、散々、さつま芋を食べさせられました。
でも、季節になると登場する、新じゃがの方が好きでした。
幸い、食卓には、御飯がのりましたが。
2017/02/10 12:29:57
ゴッホの絵から
そこまで汲み取るシシーさん、
芸術家の感性と優しさを感じます。
余談ですが、亡き夫は、その年齢にしては大きい人でした。戦後のもののない時代
「一体なにを食べて、そんなに大きくなったの」と聞いたことがあります。
答えはーー「じゃがいも」でした。
2017/02/10 11:12:28