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たかが一人、されど一人

市民感覚 

2010年04月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

<div>小生は毎度恥ずかしげも無く俄か仕立ての床屋政談のようなものを書き連ねている。毎度読んでくださる方が如何ほどの共感を持ってくださるかは分からない。時にはとんでもない事を言いやがる、と思う事も多分にある筈。しかし大部分の方は小生の実像もご存じなので「あの馬鹿はそう思うのか」と自分の考えに取り込む前にフィルターを通す事が可能である。少なくとも小生は自分が書いたものについては責任を持っている。「とんでもない事を書きやがって、謝れ」と言われて納得すれば謝る覚悟はしている。</div><div><br /></div><div>最初から言い訳めいた事を書いたが、ブログと異なり新聞の報道は、どんな馬鹿が書いた記事か先ず見当がつかない。テレビの場合は喋っている奴の顔は見えるが、聞いていると「我々が期待した政権交代(政権公約)」とか「私たちの感覚」を頻繁に使っている。以前から何度も書いているが、ニュースショウを司会する男女が政治問題や社会問題を掘り下げて研究している筈も無い。大方は台本にあるセリフを暗誦するのに精一杯で、最後のところで先ほどの「私たちの感覚」や「市民感覚からすると」を旨く繋ぎに使うだけの事である。要するに最初から自分の意見であるような、あるいは無いような(多分こちらだろう)いい加減なのだ。</div><div><br /></div><div>その脇に控えるのが論客と称する解説者や専門家である。いつも茶の間で笑っているのだが、世の中に良くもこれだけ専門家が居るものだ。これも実にいい加減で、己の考えを断定的にしゃべる人間はごく稀である。そんな人間はすぐに座敷が掛からなくなる。竹中平蔵氏は自説に拘泥するように見えるが、説が巧妙に変化していくので更にたちが悪い。殆どが適当なところで市民感覚に折り合いをつけている。嘘だと思ったら、彼等が先ほどの「」付きのフレーズをどの程度使用するか見てください。政治家が「国民の大多数が・・・」と言うのは商売(市民多数に支持されなければ政治家になれない)だから仕方が無いにしても、かなりの識者が「市民感覚」を強調しています。</div><div><br /></div><div>従って日夜こんなメディアにつき合っている一般市民はどうなるか。言わずと知れた話で、無意識のうちに新聞やテレビの報道を中立的なものとして受け入れてしまいます。最近の決め台詞は「新政権は全く期待外れだが自民も駄目だ」で、これさえ言っておけば間違いない。がメディアの立場だが、この文言についても彼等は何の責任も取る気はない筈。同様に昨日あたりからメディアに華々しく登場してきたのは「絶対権力者・小沢一郎」。このセリフは例の生方某が民主党副幹事長辞任騒動のときに使用したかと思うが、昨日の「検察審査会」の結論で一気にメジャーに駆け上がった。</div><div><br /></div><div>この「検察審査会」なるものも一般市民11名で構成されるらしいが、誰ひとり顔が見えない。明石の陸橋事故事件も「検察審査会」の2度に亘る申し立てで、検察が無罪とした警察幹部を起訴する事が決まった。小生には分からないが、被害者遺族の感情=市民感情からすると極めて納得いくものなのだろう。今回の陸山会事件に関する小沢一郎氏に対する申し立ても同じだ。</div><div><br /></div><div>今日のテーマと少しずれるかもしれないが、「普天間移設問題」の沖縄県民の思いと徳之島町民、鹿児島県民の思いにも少し共通する部分がありはしないか。大部分は他人事とみなして、安心して政府を叩いているのだろう。日本国民の思いからすればどうなんだろう。米海兵隊が日本に基地を置いている事が日本の抑止力になっている、とする意見が多いようだ。(小生は不必要と思っている。社民党みたいで嫌だが仕方無い。念のため)こんな難しい問題にまで素人が気安く意見を言ってはいけないからやめる。</div><div><br /></div><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/3089830164664281219-5825160636921132567?l=takaga.blogspot.com' alt='' /></div>

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