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延暦寺と最澄 

2017年01月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「延暦寺」とは、比叡山の山上から東麓にかけて位置する東塔、西塔、横川の区域です

標高約850Mの比叡山全域を境内とする寺院
僧・最澄により開かれた日本天台宗の本山寺院です(最澄は薬師如来を本尊とする)
天台法華の教えのほか、密教、禅(止観)、念仏も行なわれ仏教の総合大学です
平安時代には皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持った
密教による加持祈祷は、平安貴族の支持を集めた
真言宗の東寺の密教(東密)延暦寺の密教は「台密」と呼ばれた
「12年籠山行」「千日回峯行」などの厳しい修行が現代まで続けられています
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用して自分のノートとしてブログを記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・画像・番組等で確認ください
出典、BS・TBS『高島礼子・日本の古都』、WIKIPEDIA
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます)














「延暦寺」(BS・TBS『高島礼子・日本の古都』テレビ画面引用)

最澄
奈良の東大寺で受戒し正式の僧となった
経典の中でも法華経の教えを最高のものと考えた
桓武天皇は、最澄に帰依し、天皇やその側近の援助を受けて、比叡山寺は国家鎮護の道場として栄えた
中国で学び、帰国した最澄は、天台宗を開いた
法華経を中心に、延暦寺は総合大学としての性格を持っていた
後に延暦寺から浄土教や禅宗の宗祖を輩出した源がここにある

最澄の説く天台の思想
「一向大乗(すべての者が菩薩であり、成仏(悟りを開く))」ができるというもの
奈良の旧仏教の思想とは相容れなかった

大乗戒壇の設立
仏教者としての最澄の念願は、比叡山に大乗戒壇を設立することであった
大乗戒壇を設立するとは、奈良の旧仏教から完全に独立
延暦寺において独自に僧を養成することができるようにしようということである
大乗戒壇の設立は、最澄の死後7日目に許可された
延暦寺は、仏教教学における権威となり、南都に対し、北嶺と呼ばれた

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