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落語始まりと発展 

2016年11月27日 外部ブログ記事
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江戸時代に成立し現在まで伝承される話芸「落語」

江戸時代最盛期には200軒以上の寄席があり庶民の娯楽だった!
落語を再考すれば、江戸時代の庶民の暮らしぶり、金銭感覚、流行が見えてくる!
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用して自分のノートとしてブログを記載
出典、番組、BS11『せいこうの歴史再考』(経済と結び付けるので、私の好きな番組です)
 ☆番組の画面引用(集中して視るので内容良く理解できます)
















落語(、BS11『せいこうの歴史再考』番組画面引用)

落語の口演
落語は、江戸時代成立し、現在まで伝承されている伝統的な話芸の一種です
最後に「落ち(サゲ)」がつくことをひとつの特徴としてきた経緯があります
都市に人口が集積することによって、市民・大衆のための芸能として成立した
当時はさまざまな人が演じたが、現在はそれを職業とする落語家によって演じられる

落語の祖、安楽庵策伝
滑稽な話を集めた本の元祖は、京都誓願寺の安楽庵策伝の『醒睡笑』が挙げられます
浄土宗の説教師であった策伝は御伽衆として大名の話し相手となり、文人であり茶人でした
策伝の著した『醒睡笑』には、1,000話位収載されている
収載された話は最後に落ち(サゲ)がついており、策伝はこの形式で説教をしていた

噺家のはじまり
京都では、露の五郎兵衛が四条河原や北野などの大道で活躍した
「辻噺」といい、行った人々を「噺家」といい、それが落語家の始まりです
五郎兵衛が台に座って滑稽な話をし、ござに座った聴衆から銭貨を得る

寄席の成立
烏亭焉馬(初代)は、江戸で大工職人を本業とし、狂歌師や戯作者としても活躍した
江戸で新作落とし噺の会を主催して好評を博した
料理屋などを会場として定期的に開かれるようになり、江戸噺は活況を呈するようになった
天保の改革の一環として風俗取締令が発せられ、200軒以上の江戸の寄席が15軒になった
水野失脚後は禁令がゆるみ、江戸市中の寄席は170軒に増加した

幕末から明治へ
三遊亭圓朝は、歴史的な名人として知られている
圓朝の高座を書き記した速記本は、当時の文学の文章の成立に大きな影響を与えた
東京府権知事の名で、諸芸人に対し鑑札を発行し、税金を課すことを布告
芸界の統一も不可欠となり、三遊亭圓朝他2名が頭取として選ばれた
シモがかったネタの制限など、高座は健全化されていった

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