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小春日和♪ときどき信州

本・朝井まかて 「落陽」 

2016年11月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し





 内容紹介
献木十万本、勤労奉仕のべ十一万人、完成は──百五十年後。
いざ造らん、永遠につづく森を──
明治天皇崩御直後、東京から巻き起こった神宮造営の巨大なうねり。
日本人は何を思い、かくも壮大な事業に挑んだのか?
直木賞作家が、明治神宮創建に迫る書下ろし入魂作!
「ただ、かくなる上は、己が為すべきことを全うするだけです」
明治四十五年七月、天皇重体の情報を掴んだ東都タイムスの瀬尾亮一は、宮中の大事が初めて庶民の耳目に晒される状況に記者魂を揺さぶられる。快復を願う万余の人々が宮城前に額ずく中、天皇は崩御。直後、渋沢栄一ら東京の政財界人が「御霊を祀る神宮を帝都に創建すべし」と動き始める。一方、帝国大学農科大学講師の本郷高徳は、「風土の適さぬ地に、神宮林にふさわしい森厳崇高な森を造るのは不可能」と反論。しかし、曲折の末に造営が決定すると本郷は、取材をする亮一に?永遠に続く杜?造りへの覚悟を語った。やがて亮一も、一連の取材で芽生えたあるテーマに向き合うことに…。


               

 読書備忘録 

明治神宮に行った時・・・
この森ができた経緯を読んでしまったから、このお話を思い出した。

天皇を奉祀する神社を東京に造る。予算では木は入っていなかった為、募ったそう。

明治天皇の姿に迫った 「国見」
感情を押し殺して淡々としている姿に平成天皇を思った。
亮一の「陛下は笑われたこと、ありましたか」
に、道子は「これは異なことをお訊ねになる」と・・・
聖上は厳格でも、奥向きでは冗談も好きで、大臣や側近、女官にもけいみょうなる綽名をつけていたとか・・・

あれは、はめられたのだろうか?と読んだが、「落陽」 で、木を植える作業に参加している亮一には、胸に迫るものを感じた。

それにしてもあの東京駅が当初は桃山様式の御殿造りの案だったとは・・・
明治天皇が ステンショのごときは、外国式がよい。
合理的な判断が下され、西洋式の建物設計へと変更がなされたと・・・

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