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男が道徳を逸脱し憧れるもの 

2016年11月17日 外部ブログ記事
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暴力団を称賛するつもりはないのだが少し心躍る自分がいた、そんな記事がこれだ 六代目山口組「100人相手に8人で」伝説の武闘派が死去女性自身 11/5(土) 6:00配信  六代目山口組「100人相手に8人で」伝説の武闘派が死去葬儀会場に入る六代目山口組司忍組長「病状はよくなったり、悪くなったりを繰り返していました。しかし山口組が分裂しているなか、最後まで元気な姿をみんなに見せようとしていました」  10月23日に大阪市内の病院で死去した、六代目山口組顧問で章友会・石田章六会長(享年83)について、ヤクザ界に詳しいジャーナリストはこう話す。  25日に神戸市北区の葬儀場で執りおこなわれた通夜には、六代目側の直参が一堂に参列。30人近くの兵庫県警捜査員や警察車両が葬儀場周辺を取り囲み、厳戒態勢が敷かれた。  石田顧問は六代目山口組の最古参。三代目山口組の直参だった柳川組四天王の一人として、山口組の全国進攻に尽力した。  この柳川組は1958年当時、大阪での縄張り争いで、100人を相手にわずか8人が日本刀を手に殴り込みをかけたことで名を上げ、「殺しの軍団」として恐れられた。  都内在住の暴力団関係者はこう話す。 「ヤクザ界で柳川組といえば、それはすごい組織だった。山口組がこれほど大きくなったのは、柳川組のおかげ。我々も『柳川とは喧嘩をするな。みなやられるから』といわれてきた。だから、柳川組はヤクザにとって憧れの的でもあった。その四天王の一人とされた石田顧問を信奉する者は多かった」  最盛期の柳川組は約2800人の構成員を抱え、山口組の二次団体でありながら単独で広域暴力団に指定された。  しかし警察庁の標的にされ、三代目山口組時代に解散。柳川組は4つの組に分かれ、石田顧問は石田組(のちに章友会に改称)組長として山口組の直参となった。その後、六代目山口組までの4人の組長に仕えてきた。 「石田顧問は山口組のご意見番のような存在で、いるだけで重みがありました。しかし堅気には腰が低く、声をかけると気さくに応じてくれました。神戸山口組の井上邦雄組長も、分裂前は『おじさん』と言って慕っていました。分裂問題とは別の話として、焼香したいと思う神戸側の組員は多くいると思います」(前出のジャーナリスト)  一方で、石田顧問の死去は新たな抗争の火種になりかねない、と前出の暴力団関係者は危惧する。 「これまで、分裂しても石田顧問を敵視する組員は神戸側にはいなかった。しかし石田顧問が亡くなったことで、神戸側の信奉する人物が、六代目側にはいなくなったということだ。神戸側は六代目側に『配慮』する必要がなくなった」  3月の六代目山口組定例会に石田顧問は、司忍組長らを激励するため病身をおして出席したという。伝説の武闘派は、最後まで「現役」として男の生きざまを貫き通した。 (週刊FLASH 2016年11月15日号) 暴力団の存在は悪いことだ。しかしだ。男として心の奥底で胸躍る何かが芽生えてくる。 「100人を相手にわずか8人が日本刀を手に殴り込みをかけたことで名を上げ、「殺しの軍団」として恐れられた」 男なら誰もが口には出さないが(憧れ)を抱く一文だ。善悪ではなく、生き様の問題だ。 悪いこととは思いながら、それでも憧憬の思いは拭いきれない。 男とはホント、精神的に幼い生き物だとつくづく思うのであった。  にほんブログ村 心理学 ブログランキングへ   

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