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何故 電車の中で化粧をするのはいけないのか 

2016年10月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


まずはヤフーニュースからの質問。  こんにちは。実は前からずっと納得出来ない疑問があるんです。 「電車の中で化粧をするのはマナー違反」とはよく言いますよね?では、どうしてマナー違反なのでしょうか?  確かに、化粧をする前と後を見られることは恥ずかしいことかもしれませんが、それはしている個人が恥ずかしいだけであって、他人にとってはそんなに困ることではないと思います。 粉や香水がこちらにふりかかったり、臭かったりということはあるので、それはやめるべきだと思います。でも、口紅やアイラインなどもダメな理由が解りません><  友達にも嫌な顔をされるのを覚悟で「どうしてダメなのかなあ?」と尋ねてみたのですが、「電車の中で食べ物を食べてはいけない、電話をしてはいけないとかと一緒だよ、それに人前でやるのはやっぱりよろしくないよ」と言われました。 食べ物を食べると周りに臭うし、電話をすると周りが聞こえなくなって話し声がうるさくなります。だからその2つはダメなのは理解できます。でも、「よろしくない」って、何が?と思ってしまうんです。 でも、そうさらに突っ込んで友達に尋ねてたところで、きっと理解されず「そんなことも分からないのか」と、ただ人として疑われて終わりそうなのでやめておきました。  ちなみに、どんな理由であろうと、世の中でマナーとして罷り通っていることは確かなので、私は実際に電車で化粧をしたことはありません。ただ、納得がいかないんです。 どうして電車の中で化粧をするのはいけないことなのでしょうか?知っている方、素朴で理解されにくい質問だとは思いますが、答えてくださると嬉しいです。 よく聞く質問です。今や二十代の半数近くが電車内で化粧をした経験があると答えるご時世です。女子にしてみれば内心(何が悪いんだと)思っている人多いと思います。 ここに合理的な回答がありました。「電車で化粧をしてはいけない理由」岩崎夏海(岩崎 夏海は、日本の男性放送作家、小説家)デビュー作もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 彼がわかりやすく説明してくれている。電車内で化粧をすることがなぜ悪いのか、疑問をお持ちの女子の方、読んでみてください。 -------------------------------------------- なぜいけないか、この理由は、分かりづらくはあるものの、とても簡単でもある。まず、電車の中で化粧をしている人を見ると、人々はどう思うか?それは、「これから誰か大切な人に会うのだろう」と思う。化粧をするのは、誰か大切に思う人に会うからだ。  一般的に化粧は、他人に対して自分を飾るためにする、自分をよく見せようとする行為である──と考えられている。特に女性の場合は、「好きな男性のためにする」とされることもある。確かにそういう側面もあるだろうが、しかし実際は、必ずしもそれだけではない。それよりも、一種のマナーとして機能しているところがある。  化粧は、男性女性に限らず、会う相手への敬意を示すものだ。化粧に限らずファッションというものは、基本的に相手への敬意を示すものである。相手が不快な思いをしないよう、礼儀としてするのである。事実、世界中のいわゆる「礼服」は、どれも着るのが面倒くさいものだ。モーニングやドレス、あるいは日本だったら羽織袴や着物など。例えばネクタイも、首を絞めるという面倒くささをアピールするためのものだ。 なぜ礼服が面倒くさくなっているかといえば、それは相手に「私はここまで面倒くさい思いをしてこの服を着ています。つまりそれだけあなたに気を遣っているからですよ」ということを言語外メッセージで伝えることができるからだ。それゆえ、相手もそれを受け取れば、コミュニケーションが良好に進展するのである。  化粧シーンを見せることは「気を遣っていない」というアピールに等しい化粧にも、この考え方が当てはまる。  人は、しっかり化粧をした人を見ると、男性であれ女性であれ、それがきれいかどうかは別にして、相手からの敬意を感じることができる。だから、化粧をしてこられることを嫌う人は基本的にいない。自分への敬意を悪く思う人はいないからだ。  そういうことがあるから、人は、化粧をしている人を見ると「これから会う人に対して気を遣っているのだな」と受け取るのである。そこで、翻って考えてみると、「化粧をしていない」ということは、相手に対して気を遣っていない──ということともなる。それは、相手をなめているということと、ほとんど同義だ。  そして、「化粧をしているその瞬間」を見せるということは、そのことの積極的なアピールに等しい。なぜなら、「化粧していない」という事実は、よく見ないと気づかないが、「化粧をしているその瞬間」というのは、誰が見てもすぐ気づくからだ。そして、「化粧をしているその瞬間」というのは、まだ「化粧をしていない」ということでもあるので、「私は化粧をしていません」ということを積極的に伝えているということにもなる。  つまり、電車内で化粧をするということは、電車に乗っている不特定多数の人に対して、「私は化粧をしていません」と大声でアピールしているのと同じなのである。それは、とりもなおさず「私はあなた方に気を遣っていません」と言って回るような行為に等しいのだ。車内化粧を「マナー違反」で片づけることが本質を見えにくくしている 「化粧をしている瞬間」を見せるというのは、そういうメッセージを深層心理に訴えかけてくる。だから、他の乗客にとっては不快きわまりないものだ。電車の中で、いきなり見ず知らずの人から、「私はあなたに気を遣っていませんよ」と言われたら、誰だって嫌な気持ちになるだろう。もちろん、気を遣ってほしいとは思わない。ただ、それをわざわざアピールはされたくないのだ。それは、やはり我慢ならないことである。そんなアピールをされて不快に思わない人は、この世の中にはほとんどいないといっていい。 そのため、ほとんどの人は電車内で化粧をしている人を見ると、とても不快な気持ちにさせられる。しかしそれは、あくまでも深層心理に訴えかけるものなので、なかなか認知しにくいし、概念化できない。だから、「マナーだから」とか「みっともない」とか、他の理由を取って付けて説明しているのだが、それがかえって本質を見えにくくしているところもある。  もちろん、ごくまれに電車で化粧をしている人を見ても不快に思わない人がいるが、それは、言語外メッセージに対して鈍い人──つまり空気を読めない人か、自分の深層心理に気づけない人──つまり鈍感な人と言わざるを得ないだろう。 ---------------------------------------- なんと合理的な回答だろうか。マナーの問題ではないのだ。敬意の問題なのだ。 誰もが自分に敬意を表さない行動をされれば不愉快になる。当たり前のことだ。マナーがどうの、法的に規制されていないだの、そんな屁理屈論じゃないのだ。  私に敬意を示せ、イヤ、示す必要はないにしろ、少なくとも敬意を払っていなとわかる行動だけは慎んでくれ。これが電車内で化粧をする女性を見る大多数の人達の心の内なのだ。   にほんブログ村 心理学 ブログランキングへ 

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