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新作ドキュメンタリー『奪われた村』の監督をした豊田直巳です 

2016年10月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



左派、革新系議論の部屋「赤の党」に投稿された記事を転載します。
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"新作ドキュメンタリー『奪われた村』の監督をした豊田直巳です。
 発した言葉の主が意図しなかった、あるいは想像しなかった言葉が、状況をシンボリックに表象することもあるのだと思いました。
写真は先月(2016年9月)に福島県飯舘村で撮ったものです。風景の美しさに引かれてレンズを向けたものでは、もちろんありません。まさに上記の理由からです。
 いま、飯舘村では約1800棟とも言われる建物の解体工事が進められています。5年半前の震災時の村の世帯数約1700を上回るのは、農村地帯の飯舘村には一世帯に、母屋の他に旧宅や納屋、牛小屋、倉庫など2〜3棟、大きい農家となると4〜5棟の建物がありました。ですから、飯舘村の家が全戸、解体予定というわけでないのですが、大変な数であることは間違いありません。そして、その中には母屋の解体も少なくありません。
ですからこのトラックの「飯舘解体」は、「飯舘村の建物の解体工事を請け負っている業者の車ですよ」という表示を示す「意図」でしょう。
 でも、いま、大型重機が地面を剥いだり、その土をフレコンバックに詰めたり、それをダンプカーが運んだり・・・。また建物が次々と解体されて黒いフレコンバックに詰め込まれて、仮仮置場や仮置場に積み上げられて行く風景は、「飯舘村の解体」に見えるのです。
 そう「見える」という私に、反論のあるのも承知です。新築の家も建っているではないか、と。
 でも、ちょっと歩いてみれば、たとえばその新築の立派な二階建ての家に、60代の男性が一人で戻って暮らすとか。年寄りだけ戻っても、住みやすいように小さな平屋に建て直すんだとか・・。
 新築祝いの言葉を贈るには、ためらうような。つまりは、飯舘村の未来や発展を展望できるとは思えない風景がそこかしこで進んでいるのです。
 ですから、私にはトラックに表示された言葉は、こうした現実の象徴、「飯館解体」に思えてしまったのです。それが写真としての良い悪いではなく、シャッターを切った理由です。
 しかも、別のステッカーの「私は安全運転中です」にも注目すれば、荷台に積んだ「特定廃棄物」からだけでなく、地面からも周囲からも、その運転手の体を貫く放射線が、凄まじいまでに飛び交っているのです。その中での大変な被ばくしながらの「運転」を強いられる作業員の存在も明示しています。
それも「安全」という言葉で表示しなければならないくらいには、安全ではない現実の表象が言葉にはあると思ったのです。
本当に、国も県も村も、そしてそれを構成する私たちは何をしたいのでしょうか?
放射能によって奪われたものは取り戻せないという現実を生きる人びとの声にも耳を傾けて頂ければと願います。

『奪われた村』
http://ubawaretamura.strikingly.com
『遺言〜原発さえなければ』
http://yuigon-fukushima.com
*このような「話し」も福島の現在をご理解いただくために「シェア、引用、拡散」していただければと思います。

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