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川中島の戦いを、秀吉は「はかのいかぬ戦をしたものよ」と 

2016年10月30日 外部ブログ記事
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越後の竜(上杉謙信)、甲斐の虎(武田信玄)なぜ12年も戦い続けたのか?

戦国最強と呼ばれる両雄が、雌雄を決すべく激突したのが川中島
「義」を重んじる謙信と、領土拡大を図る信玄
他にも、激突した理由は、信州・善光寺の移転?
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用して自分のノートとしてブログを記載
 ☆番組の画面引用
出典、BS・TBS『高島礼子・日本の古都』、WIKIPEDIA参考&引用


















川中島の戦い(BS・TBS『高島礼子・日本の古都』テレビ画面引用)

川中島の戦い
甲斐国武田信玄と越後国上杉謙信との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦い
最大の激戦となった第四次の戦いが、千曲川と犀川が合流する川中島を中心に行われた
その他の場所で行われた戦いも総称として川中島の戦いと呼ばれる
川中島の戦いの主な戦闘は、計5回、12年余りに及ぶ

川中島戦い後の武田家
武田・上杉間の抗争は、第四次合戦を契機に収束し、以後両者は直接衝突を避けている
今川義元が尾張の織田信長に討たれ、今川氏は今川氏真へ当主交代する
武田と今川の関係は悪化し、武田氏は駿河今川領国への侵攻を開始する
駿河領域への攻撃により、武田は、織田・徳川連合軍と長篠の戦う
その戦いで、武田勝頼は、上杉謙信に救援を要請
最終的に武田は、織田・徳川連合軍により滅亡させられる

川中島戦い後の上杉家
上杉景勝は、勝頼の異母妹菊姫と婚を通じて和睦し、甲越同盟が成立する
上杉方では、柴田勝家らからなる織田軍の攻勢を防備する
武田氏滅亡後の川中島を含む信濃領国は、織田家臣によって支配される
本能寺の変において信長が横死すると、武田遺領は空白地域となった

その後の川中島
上杉、徳川、北条三者に争奪戦
武田遺領は徳川氏により確保された
豊臣秀吉によって上杉家は会津米沢へ移封された
川中島の地域は徳川の勢力下となった

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