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ル・コルビュジエの愛弟子前川國男氏が設計した区庁舎を保存・改修する運動を始めた市民団体が誕生! 

2016年10月29日 外部ブログ記事
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世界遺産登録となった西洋美術館を設計したル・コルビュジエの愛弟子である、前川國男氏が設計した世田谷区庁舎ならびに区民会館をレガシーとして保存・改修する運動を始めた市民団体が誕生!
記憶をつなぎ人をつなぐ世田谷区庁舎をのぞむ会
ツイッターアカウント https://twitter.com/herit_setagaya

第一回定例区議会に於いて平成二十八年度当初予算案に区庁舎等の「劣化調査、耐震性調査費」一千八万二千円が計上されました。
しかし、「本庁舎整備の方針が全部改築となった場合には必要のない経費である」「一部改築の可能性を探る予算措置は到底認められるものではない」「本庁舎の景観を保存する議論の芽を残し、災害対策をおくらせようとしている」等々の意見によって減額修正案が、自民党、公明党およびその他の会派と無所属議員の賛成多数によって決められました。
「記憶をつなぎ人をつなぐ世田谷区庁舎をのぞむ会」は、昨日世田谷区保坂展人区長と50人の区議会議員に「区本庁舎ならびに区民会館の劣化調査、耐震性調査に関する要望書」を提出しました。

応対した小澤弘子秘書課長に参加した7人のメンバーが、それぞれの思いを区長に伝えてくださいと発言しました。
・・・・・・・・
・近代建築の巨匠、前川國男が建てた、区庁舎と区民会館を壊さずに、保存改修してほしい。
・全部壊して建て替える案の、自民公明などの区議は、歴史を積み重ねていくことの大切さ、文化財の価値、その保存の大切さが分かっていない。
・区長は一部残すというやり方ではなく、区庁舎、区民会館を全部残して保存改修してほしい。
・区庁舎のけやき並木、広場に来るとホッとする。その空間がなくなるような高層のビルが出現することを想像するだけで悲しい。
・世界に誇れる建築物である現庁舎を壊してしまうと取り返しがつかない。築地市場、豊洲新市場、新国立競技場の二の舞にならないように望みます。
・区政の理念の一つである「区民参加、区民がつながる」事が具現化できるような庁舎を望みます。
・区庁舎に建築美を求める人がどれだけいるかはわからないが、機能、効率を優先するばかりでは、そこで育つはずのものが育たないと思う。また、耐震性などのテストは絶対にやるべきです。
・世田谷区には多くの文化人がいるが、区庁舎整備の問題を全く知らない方たちも多いだろう。前川建築を壊してしまった後に、「なぜ取り壊したのか」と問い詰められたら、テストもせずに、取り壊した理由を言えるのか。壊した後に大きな問題にならないためにも、テストは必ずしなければいけないのではないか。
・私を含めて庁舎で働く職員や一般区民はほとんど分かっていない。
基本構想の素案をもらいに行ったら、ホームページに公開していますと素っ気ない返事だった。
・今の都庁はだだっ広くて市民は右往左往、広場も集いの場になっていないが、気がついたらできてしまっていて市民の意見を十分取り入れているとは思えない。世田谷区庁舎等は市民と一緒に、人間味のある空間にしてほしい。
・現在の施設の当初の設計では、例えば窓から6メートルは全体照明なしでいけるようになっているなど、省エネで持続可能な配慮がなされているという。そういったことが現在生かされていないと思われるので、コルビジェや前川氏の精神を生かす形で改修し、未来に誇れる施設にしてほしい。現施設の強度調査費用のカットに驚いている。
・・・・・・・・
管理人は、保坂区長が、千代田区立麹町中学校で内申書問題がなければ、入学したであろう都立日比谷高校同窓会記念館に、尾崎紅葉、夏目漱石とならんで府立一中の卒業生前川國男氏を題材にした著作「敗軍の将」が展示されています。(日比谷高校通用門などの写真三枚)を区長にお渡し下さい。






世田谷区立烏山図書館で借りた「敗軍の将」のコピーもお渡し下さい。


そのコピーの内容(抜粋)
【94頁】
年譜をたどると、「神奈川」のあと、つまり一九五〇年代後半に、前川國男とその事務所(ミド同人)は、次のような作品を生んでいる。
 ・「国際文化会館」(坂倉準三、吉村順三との協同設計、一九五五年/一九五五年度日本建築学会作品賞受賞)
 ・「福島県教育会館」(ミド同人設計、一九五六年)
 ・「ブリュッセル万国博日本館(一九五八年/金賞受賞)
 ・「日本住宅公団晴海高層アパート」(一九五八年)
 ・「世田谷区民会館」(指名コンペ一等当選、一九五九年)

これら一連の作品を通じて、骨格の通った、底光りする前川の作風の確立が看て取れる。
しかも「国際文化会館」とか「ブリュッセル万国博日本館」が、どちらかといえば静的でアポロ的な表現とするならば、「福島県教育会館」とか「世田谷区民会館」は動的あるいはディオニュソス的な傾向を示しているといった対比も示しているのが特徴的で、前川國男の想像力の二面性を物語っていよう。しかし、これらの作品には方法論的一貫性が認められ、丹下健三に見られるような変り身の早さ、ル・コルビュジェからイーロ・サアリネソヘ、次ぎはミース・フアン・デル・ローへと模倣の対象をくるくると変える外発約変化とは鋭い対照をなしていると言っていい。
 「神奈川」そして「福島」、「世田谷」と手がけてきたオーディトリアム設計の前川における典型が、一九六〇年代初めにそれぞれ落成を見た「京都会館」(一九五七年指名コンペ一等当選、一九六〇年竣工/一九六一年建築年鑑賞、日本建築学会一九六一年度作品賞受賞)と「東京文化会館」(一九五七年特命一九六一年竣工/一九六一年度朝日賞受賞、日本建築学会一九六一年度作品賞受賞)である。
 
前川國男略年譜
【203頁】
1957・昭和32年 52歳
「世田谷区民会館」指名コンペに一等当選(1959年竣工)
【205頁】
学習院大学校舎(東京・豊島)、世田谷区役所第一庁舎竣工(1969年に第二庁舎)
【206頁】
1964・昭和39年 59歳
紀伊國屋ビル(東京・新宿)竣工。世田谷区立郷土資料館竣工。ニューヨーク世界
博日本館。「文明と建築」(〈建築年鑑〉1964)。

我々メンバーと区長私設秘書の大久保青志さんと面談したが、(1)区長は一部保存の建築計画と考えている。(2)前川國男氏の設計した建築物は全国に多くある。
と言われましたので驚いています。

国内外から見ると区議会や区民の議論は「コップの中の嵐の問題」であり、「世界的に高く評価されている建物を壊した保坂区長」とレッテルを貼られてしまいます。区民のレガシーをしっかりと守って下さいとお伝えください。
一般区民が建築をするときの「建築のガイド」70頁「世田谷区風景づくり条例・景観法」に「世田谷区の風景を保存し、または新たに創りだしながら、地域の個性や価値を高めていくことが「風景づくり」です。そのためには、建築主や事業者の方が建設行為等を行う敷地やその周辺の魅力をとらえ、それらを活かした「風景づくり」に取り組んでいただくことが必要です。」と記載されています。
「建築主」となる保坂区長は、この条例の趣旨を踏まえて実践する立場です。「世田谷区中高層建築物等の条例」の「建築計画のお知らせ」を作成してみましたので保坂区長にお渡しください。

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