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のびたの日記

忘れえぬ 母が泣いた日 泣かせた日 

2016年10月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



昨日は下町のうたごえ 本所地域プラザでの開催である
階段式の客席 グランドピアノ 音響も素晴らしい施設でもある
通常はプロが弾くグランドピアノ それを私が弾いて皆さんの伴奏が出来ることが嬉しい
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十三夜の日でもある 十五夜は中国から伝えられたものだが これは日本独自の月見の風習
延喜19年の文献にもある古いが優雅なもの 秋の収穫祭の一つでもあると考えられている
それに因んで 月に因む曲を冒頭に取り上げ 皆さんに解説をした
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童謡の 十五夜お月さん 没落した旧家 父親は破産 母親は病死 一家は離散が背景にある
哀しい姉妹 妹は田舎に貰われて行き 姉が月を見ながら 亡き母(かか)さんに逢いたいと願う
この後もどうなるか考えると 自然に涙も溢れそうな曲である
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十五夜お月さん ご機嫌さん ばあやは お暇(いとま)とりました
十五夜お月さん 妹は 田舎へ貰(も)られて ゆきました
十五夜お月さん 母(かか)さんに も一度 わたしは逢いたいな
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この話をして みんなで歌う そして 更に私は付け加える
母って良いね いつでも思い出すでしょう? 私も母が亡くなって30年近くだけど思うんですよ
そんな母のことを川柳に託して 鹿児島のFM1銀河てんがらもんラジオに投稿しました
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生放送で聴いて ちょうど発表があったところで ぷつんと切れたのですが 特選だって・・・
皆さんが拍手で良かったねと お祝いしてくれた
夜 録画で 先生のコメントなど聴きたいと思ったら こちらも初めの部分で切れて聴けない
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私はブログも日常も いつもありのままに語り 大勢の前でも 語ることにためらいは無い
気取らず 飾らず ありのままにの方が 生きるのに気楽であるから 隠すことも無いのだ
時には笑わせ 時にはほろっとさせ そして歌い合う そんな うたごえファンが多く集ってくる
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川柳は てんがらもんに刺激され これまで絶対無理だと諦めていた短歌 俳句と同じ部類
リスナーの皆さんと一緒だが まだ4.5回くらいであろうか
まず五七五に慣れろ 一日一回 ブログタイトルなら 必ず作れるから始めて1か月以上だ
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投稿した句は お題が出された日 すぐ出来た
だが 日にちが経つにつれ その句が女々しい 特に母のことや妹のことを偲ぶばかりだ
締切 ぎりぎりになって 削除をパーソナリティでもあるcihidoriさんにお願いした
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その句がこれである ちょっと恥ずかしい お題は 『とんとん』
『とんとんと 肩たたいた日 母涙』 特選にしていただいたが 添削もある
替りの句は 『とんとんと 刻む飴の音 やしろ(社)みち』 川崎大師など参道の光景である
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ところが 両方とも cihidoriさんが取り上げて連絡され 先の句が特選になってしまった
添削付きで特選を貰っては皆さんに申し訳ないし 本当は自分としては削除依頼したもの
従って 嬉しい反面 何か複雑な想いであるが 母の写真に告げた
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ごめんね 母さんのことを書いて 特選 貰ってしまったよ
母には 親孝行らしいことを何もした覚えがない 反抗期で罵ったことはある
でも感謝することは数えきれないくらいある
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小学校6年の頃  家は貧しく父は日雇い人夫 酒を飲むと酒乱になる
夜勤明けで 何が原因か母を殴打する 母は涙をするが逆らわない
止めに入って私も殴られ 顔にあざが出来て そのまま学校に行きみんなに笑われた
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そんな母に生活の足しになればと 早朝 納豆売りをして家計を助けた
午前3時過ぎには 起きられない 母に起こして貰い 一番電車で売りに行く
そして 中学2年の時は 9か月くらいだろうか 登校拒否をしてサボって歩いた
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原因は 教師の私への濡れ衣であり 生徒全員の前で罵倒された
当時は 気が小さく返す言葉も無く 翌日から母には黙って 学校へ行かなくなった
かばんは持って家を出る 帰宅時間までどこか放浪して歩く
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雨の日は困った 母にウソを言って 教材費など偽ってお金を貰い3本建ての映画を観る
背は小さいから子供料金で入れた でも通信簿は?と問われると 忘れたと言うしかない
次の学期も忘れたと言う 母は薄々感じているが 私には問わない
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そしてあの日 母は私に向かって言う
辛いことがあるのだろうね 一緒に死のうと言い出した
学校は長いこと行っていないが 私としては そんなに深刻では無かったから驚いた
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長期に休んでいて再登校は非常に勇気がいる 母が付いていこうかと言うが断る
そして ついに9か月後 学校へ行く 周りから何を言われても 開き直って気にしない
必死にブランクを乗り越え追いついた これが今の私につながる
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その後のある日 母が疲れ果てているのを見た
肩を叩いたり 揉んであげたのを覚えている
母の肩が揺れる 覗き込むと泣いている おそらくうれし涙だろう
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そんな日の情景を 川柳に想いを込めたが 本来の川柳と違うような気がする
川柳は 読んだとき 共鳴を呼び 暖かな気分になったり くすっと笑えるものが筋だろう
だから この句は ふさわしくないので 恥ずかしいので削除を依頼した
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ボランティアのルーツは やはり母への思いが秘められているだろうか
定時制高校に行って 初めての給料は母に全額渡した
そして 次から縁があって 孤児院へ訪れ 子どもたちへ学用品や木琴など買って行った
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その時に 今のようにピアノが弾けたら もっと喜ばれただろうと思う
ピアノは30代後半から 独学でぽつんぽつんと覚えて行った成果である
母に聴かせたことは無かった 今 聞かせたらまた母は泣くだろう
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      ?最後までお読みくだ-さいまして有難うございました m(_ _)m
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