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吾喰楽家の食卓

鳳楽の『抜け雀』 

2016年09月13日 ナビトモブログ記事
テーマ:古典芸能

310回・風流寄席の演題『抜け雀』は、上方落語の方が古くから口演されていたらしい。
江戸落語では、志ん生が得意にし、他には遣る噺家が居なかったそうだ。
そして、息子の馬生と志ん朝に引き継がれた。
圓生の孫弟子である鳳楽が、この噺を遣るのを不思議に思っていたが、今回、その謎が解けた。
鳳楽は前座時代から馬生に可愛がられ、この噺を教えて貰ったという。
落語界では師弟関係を越え、噺家同士が交流することは、珍しいことではない。
三遊派と古今亭の芸風を織り交ぜた貴重な一席らしいが、私には、そこまで聴き分けられない。

『抜け雀』は、衝立に描いた雀が、絵から抜け出すという噺である。
あり得ないことを、さもありそうに演じるのは、話芸のなせる業なのだろう。
宿代の形に描いた雀の絵が評判になるが、それを見た別の絵師が鳥かごを描き加える。
その後、雀を描いた本人が、宿代を返しに来る。
直ぐに鳥かごを描いたのは父親だと気づき、「親をかごかきにした」で、噺は終る。
「鳥かごを描く」と、「駕籠かき」を掛けている。
マクラで、駕籠かきに質(たち)の悪いのがいたと、布石を打っている。

ところが、このオチには、もっと深い意味があるらしい。
浄瑠璃の『双蝶々曲輪日記』橋本の段に、「現在、親に駕籠かかせ、乗ったあたしに神様や仏様が罰あてて・・・」という名文句がある。
元々のオチは、その台詞から来ているそうだ。
傾城吾妻は、父親が担いでいるとは知らず、駕籠に乗った。
そのことと、鳥かごを掛けている。
その後、橋本の段は上演されることが少なくなり、人々から忘れ去られたという。
だから、マクラに雲助を取り入れ、「親に卑しい仕事をさせた」という、解釈に替えたと云われている。

昨年の12月から、風流寄席に通い始めた。
先々月、風邪を引き行けなかったが、その月のうちに国立演芸場で独演会を観ている。
だから、10ヶ月続けて鳳楽師匠の落語を楽しんだことになるが、最近、少し見方が変って来た。
時々、噺の途中で引っかかることがあるが、それが気にならなくなったのである。
誰でも日常会話で、云い淀むことがあるのと同じだと、考えるようになった。
今回、11月に国立演芸場で遣る独演会のPRから始まり、本来のマクラに移り、すっと噺に入った。
オチに近づいた頃は、涙目で熱演する師匠の様子に、私は完全に引き込まれていた。

   *****

写真
9月12日(月)の昼餉と夕餉



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