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怨霊(長岡京断念)2 

2016年08月30日 外部ブログ記事
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新都造営の指揮官・藤原種継の暗殺

合理的な政治的判断から、長岡京の造営が始まった
桓武天皇によつて、つつがなく新しい時代がやってくるかに思われた
長岡京造営にブレーキがかかる
「京都魔界ガイド」興味ある本なので流し読みしないよう、ノート代わりにブログに記載
京都魔界ガイド(東雅夫)の本参考&引用










長岡京(ネットより画像引用)

早良親王は、無実を訴えて絶食
藤原種継(造営の指揮)が暗殺された
首謀者の大伴継人が逮捕され、共犯者も次々と捕えられていった
桓武天皇の弟で皇太子の早良親王が含まれていた
早良親王は、淡路島に移送される途中に衰弱死

桓武天皇の実子安殿親王が皇太子に
早良親王は、奈良とは関係が深かったので、種継による遷都推進に不満?
桓武天皇の妻であり、安殿親王の母は、早良親王に代えて安殿親王を皇太子にの野心?
 ☆早良親王に濡れ衣を着せ、葬り去った可能性もある

早良親王の怨霊が祟る
早良親王の死後、新都の造営はスムーズに進まなくなつた
造営途中の長岡京を洪水が立てつづけに襲い、門が倒壊した
都の近郊でも洪水被害が大きく、桓武天皇自ら視察を行い、農民に救援物資を送る

桓武天皇は更に苦しむ
桓武天皇の母・高野皇太后の死去
それに続く桓武天皇の后の死去
安殿親王も病に倒れてた(不眠症?)
桓武天皇は寺院で読経させたり、安殿親王の伊勢神官に詣でと多々行ったが、回復の兆しはない

早良親王の怨霊の崇りと占いで出た
怨霊の崇りということがささやかれることがあった
朝廷も、怨霊の存在を否定することができなかった
朝廷は、早良親王の遺骸を葬った淡路島に使者を派遣して慰霊鎮魂につとめた
災害は引き続き発生し、皇太子の病も癒えない

桓武天皇は、長岡京の放棄を決断
早良親王が絶食した乙訓寺
乙訓寺は、長岡京内にあることも、恐怖心を増大させた
早良親王の怨霊の棲む場所で天下の政治などできるだろうか?
桓武天皇は、呪われた都長岡京の放棄を決心したのである
長岡京に代わる新都の造営は、早良親王の怨霊から逃れるため造営された

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