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怨霊(桓武天皇長岡京遷都決断)1 

2016年08月29日 外部ブログ記事
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桓武天皇が平城京を廃棄しようと決断した理由

壬申の乱で、天智天皇の弟の大海人皇子が、天智天皇の子大友皇子を破って天武天皇となった
壬申の乱後、歴代の天皇は、天武天皇系が独占
桓武天皇は、平城京を支配してた天武天皇系の旧勢力を排除する事でした
「京都魔界ガイド」興味ある本なので流し読みしないよう、ノート代わりにブログに記載
京都魔界ガイド(東雅夫)の本参考&引用












遷都決断(ネットより画像引用)

怨霊
生きている人に災いを与えるとして恐れられた
憎しみや怨みをもった人の生霊や、非業の死を遂げた人の霊
この霊が生きている人に災いを与えるとして恐れられている
事故死等、非業の死をとげた人は、霊肉がともにそろった状態から、突然、肉体だけが滅びた状態になる
その人の霊魂は行き所を失い、空中をさまよっている(霊が浮遊霊)
平安時代の書物に現れる物の怪、中世の怨霊や御霊、近世の無縁仏や幽霊などは、浮遊霊の一種です

称徳天皇時、天武系天皇絶る
天智系の光仁天皇が即位
天智系の光仁天皇の子供が桓武天皇

桓武天皇は、平城京を捨て天智系の都を新たに造ろうと考えた
奈良盆地は、天武系の代々の天皇に仕えてきた多くの豪族たちの本拠地でした
桓武天皇が即位後にクーデター未遂事件起きる
守旧派の一人、氷上川継による事件が起きました
平城京にいる限り、天智系の政権は盤石では有りませんでした

桓武天皇は遷都を決断
天武系の守旧派の影響の届かない土地への遷都を決意する
京都盆地の南西の長岡の地
淀川に近く、山陽道と山陰道の起点ともなる交通の要衝です
山背国は桓武天皇の母方の豪族の勢力範囲であるという利点もあった

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