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昭和の選択(鈴木内閣の苦闘) 

2016年08月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



終戦までの131日間

終戦約4ケ月前に、鈴木貫太郎内閣成立
徹底抗戦を主張する軍部と無条件降伏もやむなしという外務省
真っ向から意見が対立、その間に入って調整(?)決断を下す総理の苦悩
NHKBS番組『昭和の選択』参照&引用(司会磯田道史先生他「私の好みの司会者です」)


















昭和の選択(番組画面の画像引用&ネットより引用)

鈴木貫太郎内閣の131日間とは?
枢密院議長の鈴木氏が組閣した内閣です
鈴木内閣が発足した日にベルリンでヒトラーが自殺し、ドイツ軍は無条件降伏
日本本土空襲が激しくなる中、御前会議で「皇土保衛」「国体護持」の「戦争指導大綱」が決定される
沖縄での組織的戦闘が終結し、日本の敗色は濃厚となる
内閣内では、内大臣木戸氏や海軍大臣米内氏は講和に向けて動き出した
御前会議で「ソ連を仲介とした米英との講和交渉」が決定された
ヤルタ会談での密約で対日参戦を決めていたソ連は実質的な拒絶回答をおこなった

連合国側首脳名で発表された降伏勧告ポツダム宣言
鈴木首相は「政府としては重大な価値あるものとは認めず黙殺」とコメントした
その間、広島、長崎に原子爆弾が投下されて壊滅的な被害を受ける
ソ連軍が満州国に侵攻するなど、和平工作の失敗が明白となる
御前会議では、ポツダム宣言を受諾して降伏するか、本土決戦を期して戦争を遂行するかで議論は紛糾

鈴木首相は昭和天皇の聖断を仰ぐ
天皇は「国体護持」を条件として、ポツダム宣言受諾に意見統一した。
内閣は、天皇を中心とする国家統治体制である「国体」を維持を連合国側に申し入れた
連合国側は、『天皇の権限は、連合国最高司令官の制限の下に置かれる』と回答した
御前会議が開かれ、再度の天皇の聖断により、ポツダム宣言の無留保受諾が決定された
天皇は終戦の詔書を発布し、即座に連合国側にその旨通告された

天皇が終戦の詔書を朗読する
国民に対して、天皇よりポツダム宣言の受諾が伝えられた(玉音放送)
本土決戦を主張した陸軍大臣阿南氏は、将校らに承詔必謹を命じた後同日自決した
鈴木内閣は、聖断を仰ぐに至った責任を取るとして内閣総辞職

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