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敗者の日本史(真田幸村と妻子) 

2016年08月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



血脈を残した真田一族(大坂夏の陣で家康に敗退)

真田幸村の奮戦ぶりを徳川方の軍勢は「真田日本一」と称した
真田守信(幸村の二男)は、捕らえられ生き残り、のちに仙台藩士となる
興味ある本でしたので、購入しノートとしてブログに記載してます
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆本『敗者の日本史(歴史REAL)』記事参考&引用
 ☆詳細本で確認ください












真田一族(ネットより画像引用)

真田信繁(幸村)
夏の陣では大坂城から出陣し、伊達政宗の軍勢を撃破した(道明寺の戦い)
茶臼山の戦いで、家康の陣所を三度までも襲い脅かした
越前松平の軍勢との戦いで戦死した(享年47歳)

真田大助(真田幸村の長男)
越前松平の軍勢と合戦で、父信繁の命で大坂城へ戻り、豊臣秀頼の出馬を請うた
徳川の大阪城攻撃で、豊臣秀頼・淀殿らとともに城内で秀頼に殉じた

真田守信(真田幸村の二男)
捕らえられ生き残った真田守信(大八)は、のちに仙台藩士となる
守信を祖とする仙台真田家が幕末までつづいた

真田幸村の妻と娘
捕えられた幸村の妻は、幕府に差し出された
幸村の妻は、黄金五十七枚と秀頼から与えられた脇差などを所持していた
幸村の妻のその後の扱いは不明
幸村の娘(阿梅)は、伊達家家臣・片倉重長の後室になる
幸村の娘(お日の方)は、出羽亀田藩主の妻となる

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