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敗者の日本史(北条高時) 

2016年07月20日 外部ブログ記事
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北条高時

後醍醐天皇の倒幕計画に、新田義貞、足利尊氏らが後醍醐天皇に同調し挙兵する
北条高時の二男時行がもたらした南北朝内乱の幕開き
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆本『敗者の日本史(歴史REAL)』記事参考&引用
 ☆詳細本で確認ください










北条高時(ネットより画像引用)

鎌倉幕府滅亡の経緯
元寇による、財政の悪化した幕府は、永仁の徳政令を発したが、御家人の不満は強くなる
執権北条氏による専制政治に不満を募らせていた後醍醐天皇は、政情不安に乗じて幕府打倒を決意
四度の倒幕計画に、新田義貞、足利尊氏らが後醍醐天皇に同調し挙兵する
鎌倉に侵攻した新田軍により鎌倉幕府陥落
北条高時以下の北条氏一門は、菩提寺の東勝寺で自害し鎌倉幕府の滅亡

北条高時二男時行がもたらした南北朝内乱の幕開き
北条高時に2人の息子の内2男の時行は信濃へ逃げ延びた
時行は、諏訪で挙兵きし、東に向かい鎌倉の奪回に成功する
時行による鎌倉占領はわずか1カ月(足利尊氏の討伐で滅ぼされる)
討伐に向かった足利尊氏と後醍醐天皇の間が決裂し、尊氏鎌倉に残留
残留した尊氏に対し、後醍醐天皇は新田義貞を討伐軍として派遣したことが、南北朝内乱の幕開けです

北条高時
14代執権となる(鎌倉幕府16代迄)
病気のため執権を辞し、最後の得宗(北条氏の嫡流)となった

新田義貞
源義家の流れをくむ新田氏の八代当主
上野国を拠点とし、後醍醐天皇に与して鎌倉幕府を崩壊させた

足利尊氏
鎌倉幕府軍で挙兵したが、反幕府軍宣言し、六波羅羅探題を減ばすなど、建武の新政の立役者のひとり
その後、後醍醐天皇とも対立し、南北朝動乱を経て室町幕府初代将軍となる

後醍醐天皇
第九十六代天皇
鎌倉幕府を倒し、建武の新政を開始するが、足利尊氏の離反にあい吉野に逃れ南朝樹立

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