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歴史は勝者によって書かれる、創られる(5) 

2016年07月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



学んだ歴史、教えられた歴史は正しいのだろうか?

柴五郎中佐と北京の日本兵は、『北京籠城』の戦いで、諸外国の人々へ深い感銘を与えました
「日本軍人の武士道精神」日本人の高貴な精神文化は、西洋の人たちにも理解されました
日本が大東亜戦争と呼んだ戦争
 ☆アジア諸国を西欧の植民地主義から守り、独立させていくという大東亜共栄圏の戦争
 ☆視点を変えると、張学良や蒋介石の抗日の戦いでもありましたが?
敗戦後の日本で、占領軍が行った教育の骨子
 ☆日本人が悪いのでなく、日本の軍隊・軍人が悪いのである
 ☆日本の軍隊・軍人は諸外国で『悪いことばかりしていた』との教育の徹底
 ☆占領軍の教育は、軍隊の貢献等教えてはならない『自虐史観』教育の徹底でした
歴史は、常に両サイドから物事を見るのも必要では














柴五郎中佐(ネットより画像引用)

『北京籠城』と 柴五郎中佐
日本軍を指揮した柴五郎中佐は、有能な士官で、誰からも好かれ、尊敬された
日本人の姿が模範生として、皆の目に映るようになった
日本人の勇気・信頼性・そして明朗さは籠城者一同の賞讃の的でした
数多い記録の中で、一言の非難も浴びていないのは、日本人だけです
タイムズ誌は柴五郎を「軍人中の軍人」と誉め讃えて世界に報じました

中国で義和団の乱勃発
数万の義和団は、宣教師や外交官を殺害し、北京の各国公使館を包囲しました
北京では、各国公使が協力して居留民やシナ人キリスト教徒の保護にあたりました
公使館区域に約500名の義和団が襲いかかり、シナ人キリスト教徒を数千人を惨殺しました
警備していた清国軍も、義和団側について公使館区域を砲撃しました
西太后がこの反乱を支持して、欧米列国に宣戦布告したため国家間戦争となった
欧米列強国軍は首都北京及び紫禁城を制圧、清朝は莫大な賠償金の支払いを余儀なされる
「義和団の乱」は、義和団事件・義和団事変・北清事変・庚子事変の呼び名がある

諸外国の「義和団の乱」への対応
イギリス、ロシア、日本など八カ国が軍隊を派遣しました
柴五郎中佐が指揮する日本兵の勇敢さと規律のよさが世界中に報道されました
イギリスの日本に対する信頼感が増大し日本に接近することになりました

日本兵たちの勇猛果敢な奮戦
守備隊の奮戦は、二ヵ月近く続きました
城壁を砲撃して崩し突入する清国兵や義和団を射撃と白兵戦で撃退するという戦いが繰り返されました
柴中佐は、この敵を引きつけ、城内に密集したところを一斉射撃をしてなぎ倒しました

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