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敗者の日本史(蝦夷) 

2016年07月13日 外部ブログ記事
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蝦夷(えみし)

版図拡大を図り侵攻するヤマト朝廷を迎え討つ蝦夷
平定後も、元慶の乱など東北に根ざした蝦夷の血
興味ある本でしたので、購入しノートとしてブログに記載してます
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆本『敗者の日本史(歴史REAL)』記事参考&引用
 ☆詳細本で確認ください








蝦夷(えみし)(ネットより画像引用)

桓武天皇による版図拡大政策
日本には、東北に蝦夷、九州南部に隼人という、律令国家の意に従わない人たちがいました
8〜9世紀に、断続的な征夷が行われ、律令国家は東北へと版図を拡大しました
東北に従軍していた参議が殺害されるなど、律令国家側も大きな損害を受けました
坂上田村麻呂の征夷は、胆沢・志波の地まで進出するなど大きな成果を挙げました
坂上田村麻呂の活躍と阿三流為の処刑で蝦夷は敗北しました
降伏した蝦夷のことを俘囚(ふしゅう)呼びます

蝦夷討伐による国家の代償と弊害
桓武天皇は、平安宮造営と蝦夷征伐の停止を決定しました
征夷完了を受けて、三十八年戦争は終結した
桓武朝での造都と征夷によって国家財政は悪化していました

阿倍比羅夫
古代水軍の将、朝廷の北方進出、蝦夷平定に大きな役割を果した
水軍を率いて蝦夷を討ち二郡を得る
白村江の戦いにも加わっています

坂上田村麻呂
征東副使(征夷大将軍)として蝦夷を討つ
胆沢城、志波城を築き、平城太上天皇の変の鎮圧にも功を挙げました
京都の清水寺の創建者と伝えられています

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