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独りディナー
ホストファミリーの続き
2016年07月10日
テーマ:アメリカ
ジャパニーズパーティ以降、ホストファミリーのお仲間のいろいろな家族に、親しくして戴いた。
特にクラークさんは、とても開放的な家庭で、夏になると大きなピクニックをよく企画して、誘ってくれた。
どうやら、ピクニックと言うのは戸外のパーティの事を指すようであった。
広い庭の片隅で、クラーク氏のダグが大きなバーベキューセットの前でソーセージを焼いている。
網の上には、ホットドッグ用のコッペパンも沢山乗っている。
そのうち、クラーク夫人のキャリーンが、スーパーで売られているままの、巨大な牛の挽肉パックを開いて、小さな手のひらサイズにまるめたものを、次々と網の上に並べていく。
バーガー用のパンも、一緒に・・。
そうか、アメリカのハンバーグは、挽肉だけを丸めて焼くのか・・。
参加者はそれぞれ持ち寄りであった。
大きなサラダボールに、どっさり野菜サラダを盛ってくる人。
大きなスイカ持参の人(サッカーボールの様な形で、一個でも食べ応えがあった)。
手作りの大きなケーキを持ってくる人。
ポトラックパーティーと呼ばれる、このスタイルは、主催者と参加する人と、双方の負担が軽くて、実に気楽であった。
二人の幼子を抱えて、手持ちぶさただった私達は、フレスビーを見つけて、それぞれ左手に赤ん坊を抱えて、プールサイドで投げ飛ばして遊んだ。
その時に何も言わなかったけれど、クラークさんは後々まで、誰かに会うたびに、「この二人は、それぞれ片手に赤ん坊を抱えて、フレスビーをしていた、あの夫婦だよ」と紹介していた。
よほど、記憶に残ったのだろう・・。
クラークさん夫婦は、私達より10才くらい年上だったのだろうか。
当時は、高校生の男の子が二人と、中学生と小学生の女の子がいた。
ジョイという名の末っ子は、まるで男の子の様に元気が良くて、周りの人気者だったけれど、彼女はヒスパニック出身の養女なのであった。
クラーク家と親しい、心理学の教授のヘーベル家でも、とびきり美しい二人のお嬢さんの下に、ヒスパニック系の男の子がいた。
ヘーベル夫人のスィンディさんは、ピアノクラブのメンバーで、実家のお父さんはフィラデルフィア交響楽団でコントラバスを弾いていたそうだ。
彼らと、養子について話したことはない。
たとえ訊ねたとしても、私の語学力ではきちんと理解するのは無理だろうと、諦めたところはある。
それから、30数年間。
クラークさんも、オパルスキーさんも東京へやってきて、私達の家にも遊びに来た。
クリスマスには、沢山の写真とファミリーニュース付きのカードが毎年届く。
私も真似をして、未だに、簡単な家族の動静を綴って、主人と連名のグリーティングカードを送っている。
我が家の方は、クリスマスの時期ではなくて、年が明けてからだけれど・・。
クラークさんの四人のお子さん達は、次々と結婚して、孫が生まれて、毎年のように家族が膨らんでいく。
必ず、全員の写真が載っている。
何故か、お孫ちゃん達は男の子ばかりで、最初のうちはバスケットチームができるよ、とイラストが描かれていて・・。
こちらは毎年、なんとかの一つ覚えの様に、「そろそろ野球チームができるんじゃない?」などと書いていたのだが。
小さな男の子達が八人まで到達して、毎年少しずつ大きくなっていく。
そして、一昨年のクリスマス、突然お孫さんが九人になった。
初めて登場した女の子は、中国系の養女だった。
パパのスティーブは、私達がアメリカにいた頃はバンドに夢中の、典型的なハイスクールボーイだった。
彼の家庭は、双子の男の子も含めて、既に3人の子持ちなのだ。
「中国系の、小学生の女の子を引き取りました」と淡々と書かれていた、そのクリスマスレターを読みながら、私は唯々感動していた。
元気の良かった、ジョイの姿を思い出しながら・・。
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感銘を受けました
asi asi さん、コメントありがとうございました。
やはり、遠くからメディアを通して見ているのと、実際に行ってみるのでは、印象が違いますね。
アメリカに関しては、人種差別の国、とレッテルを貼っているところがありましたが・・。
文化の違い、それに宗教の影響も大きいのだろうと思います。
2016/07/11 15:46:32
文化の違い?
何度か、イギリス、アメリカなどでホームステイした時に感じた事は、近所の子供が夕食時に来てその家族と食事をしてる。何か昔の下町の風景を感じた、ステイ先にはアジア系、の子供がいたが.........不思議に感じ、尋ねたら「養子」だと。その家族たちの態度は全然、違和感を感じさせない自然さがあった。
2016/07/11 08:39:24