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独りディナー
キャンペーン映画に出た!
2016年07月04日
テーマ:アメリカ
住んでいた街は、人口二万人という小さな街だった。
でも小さいながら、ちょっと大学の城下町の様な印象もあった。
文化もスポーツも盛んで、キャンパスの中にはフットボールの大きな球場もあった。
音楽面では、「フレンズ オブ ミュージック」という会があって、そこの主催で地元の演奏会が開かれていた。
私が、其処の主催で開いたリサイタルの時は、主催者が地元の新聞に大きな記事として掲載したり、簡単なチラシを配布してくれたので、それなりにホールはいっぱいになった。
その経験もあって、二年目の秋には、大学オーケストラの定期演奏会にピアノ協奏曲で出演することにもなった。
その演奏会は、リサイタルをした小ホールとは別の、古色蒼然とした建物のアレキサンダーホールで行われたが、本番前にも何度か、オーケストラとの練習に出かけた。
どこの場所で練習したときかは覚えていないが、ある晩、メディア関係の人が何人も来ていて録画していたこともあった。
この演奏会のポスターは、いろいろな場所に出回っていたから、小さな街で私はちょっとした有名人にさえ、なった。
私のアメリカ在住時、最も楽しかった時間は、大学関係者の婦人達が作っていた「ピアノクラブ」に参加したことである。
10人くらいの、子育ても終わった奥様連中が、月に一度会員の家に集まって、例会を開く。
簡単にコーヒーを飲みながら立ち話をして、それからピアノの部屋へ移動して、その日のホステスの演奏で始めるのが慣習だった。
その後は、適当に名乗り上げた人が弾く、というざっくばらんな会なのある。
子育てもほぼ終わって、生活にゆとりのある人ばかりだったから、もう既に私より10歳〜20歳年上の人達だった。
かなり長く続いているらしいその会で、よく私のような異邦人を仲間にしてくれたと思う。
私は、これを小さな音楽会と自分の中で意味づけして、毎回弾くことに決めた。
その真面目な姿勢に、皆が心を開いてくれたのかもしれない
彼女たちの旦那様は、有名な教授ばかりで、キャンパスの内外に建つ、素敵なおうちに住んでいた。
私は若かったのと、いずれは日本へ帰国する一時滞在者だったから、いわゆるホスピタリティ精神で迎えてくれたのだと思う。
オーケストラの演奏会が終わって、暫くたったある日、そのお仲間だったマリアンさんから電話があった。
彼女の旦那様は、歴史学の主任教授だった。
「昨日ね、大学関係の大きなパーティがあったのよ。
財界の人がたくさん来ていて、まあ寄付集めのキャンペーンだったのだけれど。
大学内のアクティビティを紹介する映画を披露したのだけれど、その中に、あなたがオーケストラの伴奏でピアノを弾いている映像が出てきたのでびっくりしたわ」
次の「ピアノクラブ」の例会では、その話で持ちきりだった。
他の人達も、ほとんどの旦那様は大学の重要メーバーなので、そのパーティに参加していたのだ。
私が演奏している映像は3分くらいだったけれど、その後も暫くBGMとして流れていたそうだ。
何かにつけて私を気遣ってくれるフィリスさんが、「あなたもその映像を見たいでしょう?
大学の事務に頼んであげるわ」と言った。
結局、どんな経過があったのかは知らないけれど、ちょうど母がアメリカに訪ねてきている時に合わせて、彼女から連絡が入った。
「キャンパスの中にあるギリシャ建築風の建物で、上映会があるから行ってご覧なさい」と言うことだった。
単なる、主人の家族としてアメリカに住んでいるにすぎない私が、大学のキャンペーン映画の中でピアノを弾いている。
アメリカとは、つくづく度量の大きい国なのだと実感した嬉しい瞬間であった。
アメリカ・イズ・ナンバーワンのゆとりかもしれない。
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想い出、ばかりです
彩さん、コメントありがとうございます。
昨日のブログは、後味が悪くて削除しようかと思ったのです。でも手順が悪くて、成功せず。諦めて、今日は楽しい想い出を書きました。
アメリカでの二年間、どれだけ引き延ばせるか、自分ながらちょっと楽しみです。
素敵な出会いがいっぱいありました。
2016/07/04 10:56:16
想いでのページ
シシーさん おはようございます!
もう、いやんなっちゃう。。(笑)
私が梅干しを漬けて「幸せ!」なんてBlogを上げて
いる間、シシーさんは壮大なアメリカの大学内での
セレブ風な思い出の1ページを語る…
あぁ〜、これも人生かな。
色々なキャリアを持つ、このナビ友さんたちのBlogから
目が離せませんわ。
アメリカ思い出話の続きを楽しみにしています!
2016/07/04 09:32:50