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都わすれの「「ベガルタ応援日記」
昨日は母の17回忌で・・
2016年06月30日
テーマ:テーマ無し
夫の場合は前夜の事故で殆ど即死も、病院に運ばれて検視が翌日の0時3分だから、実際は前日のはずだけれど母の場合は23時50分で昨日の深夜(実際は23時10分頃も私たちが行ってからだったから)・・昨夜は珍しく11時半前にベッドに入って、16年前を思い出していた 6月14日木曜日の深夜11時30分頃、自宅の仏壇の前でうつ伏せに倒れていて、すぐに救急車を呼んだが救急車に乗せられてから、酸素吸入器を取りつけたり、30分近く自宅前でその後30分以上かかって、以前三度入院(心不全で)の仙台循環器センターへ着いた時は、勿論日付が変わっていた 自宅で意識はあったものの何も話すことがなかったが、病院へ着いたら「初めからここに来れば良かった」と言い、トイレに行くのに杖を持って来てと言った あの年は2月に娘が結婚し3月ころか、「終わったわ・・」と言うから「○○ちゃんがまだ・・」と未婚の甥っ子の名前を言ったら、「待ってられない」と言った(息子は前年結婚) その後ゴールデンウィーク前あたりから、毎日通っていた整形外科にも行かなくなったが、自分の洗濯など倒れるまで一人でやっていた 以前入院した時は心臓患者は個室より、大部屋でって言われたがあの日は空いてなければ個室でも良いですかって聞かれた 肺の部分がってことだったが・・翌日休暇を取って行ったら原因が分からないと言う「間質性肺炎」で、肺が真っ黒と言うことだった 罹りつけの病院で心電図などは小まめに取って、毎日点滴を受けていたが肺の写真を撮ってなかったのね 大部屋が空いてない時は個室でもって言われたがICUから出られず、その後毎日仕事が終わってから1時間以上かけて病院へ通ったが、大変だから毎日来なくてもと言われて5日目だけ私は行かなかった(妹と娘が行った)その日の深夜病院からの電話でこれから行きますと言ったが、今は落ち着きましたと言うことで翌日行ったら、酸素吸入器が取りつけられ軽い麻酔で眠らされていて、二度と会話をすることが出来ず9日間寝顔を見に通うような状態だったが、毎日「昨日より悪い」と主治医から言われる日々で、妹と二人泣きながら帰った 面会も1日に3人までで入院時に、病室に入らなかった娘の夫はその後二度と病院で母と会えなかったことを悔やんだ そして6月29日・・あの日は娘と妹と3人で病院へ行ったら、「今夜がヤマ」と言われて帰らないで病院にと言ったが、何かあったら連絡しますと言われて帰宅後、娘と二人で襖の張替えをしていたら11時10分頃に電話があって、息子に電話したらすぐに出て驚いたが・・寝ていたらばあちゃんに起こされて目が覚めたと・・可愛がった孫のところに最初に知らせに行ったのか・・妹や娘にも連絡し(母の妹にも)車2台で、病院にいったら多くのモニターは一本の線に・・一足遅れて叔母さんが来てみんなが集まったところで、「ご臨終です」と言われたのが11時50分だった(深夜に入院し深夜に帰宅の14日間) その日主治医は当直じゃなかったがいてくれて、最後に見送って頂いた 今頃は葬儀の準備でてんやわんやだったかなぁ・・夫の時も父の時も「喪主」だったが、葬儀の時の喪主挨拶は妹の夫が変ってくれたが、母の時は未知の知床での苦労や焼け出されて、仙台に帰ってからも鬱を患っていた父の代わりに骨身を削って働いた母の苦労を、私の口から話したくて喪主挨拶を初めてやったが結構長かったが、何も見ないですらすらと言えた あれから16年が過ぎ私も母の歳まで、あと13年・・元気でいられるのだろうか・・母の苦労は私の比じゃなかったと思う 毎日お線香をあげるときに、色々話しかけています ブログ村に参加中ですのでが、最近低迷しています。よろしくお願い致します〜! いつも応援ありがとうございます
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