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敗者の日本史(苗木・太田金山)城 

2016年06月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



失われた戦国大名の居城

城があった場所:苗木城(岐阜県)、太田金山城(群馬県)
本では、CGで城を再現しています
興味ある本でしたので、購入しノートとしてブログに記載しました
 ☆本『敗者の日本史(歴史REAL)』記事参考&引用
 ☆関心ある方は、詳細本で確認ください












敗者の日本史(ネットより引用)

苗木城
森長可に落とされた遠山氏累代の城
東美濃の名族遠山氏が高森山山頂に築いた
山の露頭した岩盤を巧みに利用して石塁で回めた独特の山城であった
豊臣方の森長可(ながよし)に城を落とされ、城主の遠山友忠は徳川家康を頼り落ちのびる
関ヶ原の戦いで、友忠の子、友政は東軍として参陣し、西軍河尻秀長が城主となっていた苗木城を奪回
戦後、家康から再びこの地に返り咲きを許され、遠山氏は幕末までこの地を治めた

太田金山城
小田原攻めて落とされた関東七名城のひとつ
新田一族の岩松家純によって築城される
その家老だった由良成繁。国繁親子が城主となった
広大な規模と堅固さを誇る山城で、上杉謙信の攻撃にも耐え、関東七名城のひと言われた
豊臣秀吉の小田原攻めで前田利家・上杉らの攻撃を受け落城ののち廃城となる

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