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明王院  福山市 並ぶ国宝 

2016年06月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


明王院 福山市
中道山円光寺明王院と称し、国宝の「本堂」「五重塔」を有する真言宗大覚寺派の古刹です。
もとは西光山理智院常福寺といい、大同2年(807)弘法大師の開基と伝えられています。



その後、鎌倉時代後期の南都西大寺流律宗の勧進活動や草戸千軒の繁栄の影響もあり、鎌倉時代末期に本堂再建、室町時代前期に五重塔を建立など、"中世・西国屈指の寺院"になります。
元和5年(1619)、水野勝成が福山藩主として入府してからはその庇護を受けます。

三代水野勝貞は常福寺に、城下神島町の歴代藩主の祈願寺となっていた明王院を合併し、当時の住職宥仙は、寺号を明王院と改め今日に至ります。



合併後の明王院は、本山として末寺四十八寺を擁していたといわれます

入口






広島県指定重要文化財
明王院山門

この門は棟札により慶長19年(1614)の再建ですが、その創建はさらにさかのぼると思われます。
現在の山門の建築材は新旧二様に分かれています。
新様は建物上部の斗供・軒などに旧様は軸部の柱・腰長押・台輪などに見られ一部に室町様式の木割を残しています。全体に雄大で豪壮な門です。
降棟に龍頭瓦を乗せており、鞆町安国寺釈迦堂の屋根のものよりやや小形で珍しいものです。


山門下から
本堂・五十塔とも国宝です。

鐘楼
面取り角柱を方形の礎石上で内側に傾斜をつけて建てた、いわゆる四方転びの建て方で、特に各柱を内側に湾曲させているのが特徴です。
建立は棟札により、正保4年(1647)水野宗休(勝成の隠居後の号)の寄進によるものとわかり、鐘は明暦3年(1657)福山三代藩主水野勝貞の寄進によるものです





本堂
本堂の建立は、昭和37・38年(1962・1963)に実施された解体修理により、内陣蟇股に墨書が発見され、鎌倉時代の元応3年(1321)の建立であることがわかりました。
さらに現本堂の下に、本堂の前身と推定される掘立柱穴が点在する事が、発掘調査によって確認されています。





様式は、全体的に和様の姿をとり、木割や細部には大幅に唐様を採用した折衷様で、外陣の輪垂木天井は極めて珍しい手法です。
尾道の浄土寺本堂(国宝。1327年再建)とともに、瀬戸内海地域で最も古い折衷様建築物として貴重なものです




明王院五重塔
この塔は貞和4年(1348)住持頼秀のとき、一文勧進の少資を積んで造られたことが伏鉢の陰刻銘からわかっています



高さ29.14m、3間四方、本瓦葺丹塗の和様建築。
優美な形態をみせ、内部の壁には極彩色の仏画が描かれています


本塔の心柱が一層の天井で止まっており、
全国的にも珍しい例です。


手法も雄大で、南北朝時代の代表的和様建築です。
現在全国の指定文化財塔22基のうち、法隆寺・室生寺・醍醐寺・海住山寺に次ぐ5番目の古さを誇り、
中世密教寺院における現存唯一の遺例と言われています。


雨なので登るのは断念

古い石物もあるようです

福山市に国宝が並んで建っているのは余り知られていないです
五重塔は山口・瑠璃光寺五十塔(嘉吉2年1442年)より
100年近く古く全国でも5番目に古いです

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