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人骨の会・連続フィールドワーク 〜世田谷区の戦争遺跡を歩いてみよう〜 

2016年06月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



人骨の会(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会)主催の連続フィールドワーク 第2回 特別企画「世田谷平和マップ  〜世田谷区の戦争遺跡を歩いてみよう〜」が6月12日(日)世田谷区立太子堂区民センターで座学が、その後旧陸軍駒澤練兵場と軍事施設のフィールドワークが行われました。
参加者は、人骨の会会員、歴史教育者協議会関係者、しんぶん赤旗「くらしの情報」欄を見た方、世田谷区民など20人でした。
座学の講師は管理人が、フィールドワークは東京歴史教育者協議会会長東海林次男さんです。






管理人は、下記のレジュメと東京城周辺の古地図に要人屋敷、政府、軍、警察、大使館を記した地図を用意しました。
「サンデー毎日」のスノーデン氏が太平洋海底ケーブルから米国が盗聴しているっという記事がでたことから、日露戦争のために海底ケーブルを敷設したが、「尖閣諸島」「竹島」を領土とする閣議決定をしたことは、戦争準備のためであったので、官報には掲載せず、外国に知らすことをしなかった深謀があったという「仮説」を説明し、「戦争とインフラ」の話をしました。
追加して配布した資料




・・・・・・・・引用・・・・・・・・・・・・・・・
東京の戦争遺跡を歩き「軍事大国日本」の創生期から「敗戦国日本」への百年史を考える


(1)天皇制国家の確立と戦没者にたいする祭祀制度の靖国神社創建
中山忠能の長女慶子天皇睦仁誕生 幼名祐宮(さちのみや)
慶応2年12月25日(1867年1月30日)孝明天皇が崩御。満14歳で践祚の儀を行い皇位に即く。京都御所にて即位の礼を執り行い、即位したことを内外に宣下する。大嘗祭は明治4年11月17日に東京で挙行。一条美子を皇后に。
江戸開城から半年を経た明治元年10月13日、明治天皇は初めて江戸に行幸し、同日江戸は東京に、江戸城は東京城に改めた(東京奠都)。一旦京都に還幸後、翌明治2年(1869年)に再び東京に移り、以後は崩御まで東京に居住。

(2)天皇の軍隊は江戸城、親藩、旗本屋敷に築き“軍都東京”となる
高輪で西郷隆盛、勝海舟の談判。進軍を停止
東海道先鋒総督橋本実梁江戸城を収む
軍防事務局に属した御親兵を薩・長・士の兵を以て御親兵を再編
東京、大阪、鎮西、東北に鎮台。名古屋、広島にも鎮台(6鎮台)
陸・海軍省の分立
徴兵令の発布 屯田兵
丸の内の陸軍用地を払い下げ→三菱ヶ原に 赤坂・麻布中心に移転
日比谷練兵場の移転→日比谷公園 青山火薬庫跡→青山練兵場
陸軍を統括する機関、諸教育機関の集中
近衛師団と第一師団の配置。東京衛戍総督部

(3)外征への鉄道敷設
横浜駅の変遷。横須賀線敷設。
甲武鉄道市街線、三崎町官地に始発駅。
御所トンネルと青山軍用停車場。品川短絡線。宇品短絡線。

(4)「大山街道(矢倉沢往還)」の軍事利用
駒場練兵場の開設 新設部隊(騎兵大隊・輜重兵中隊・近衛輜重兵大隊・騎兵実施学校)
駒澤練兵場の開設 砲兵の駐屯・訓練

(5)防衛省市ヶ谷記念館
過去の戦争を裁いた「極東軍事裁判所記念館」が、現在の軍事中枢防衛省と共存することになる。偶然の結果とはいえ、このようなケースは世界にも類例がない。
・・・・・・・・引用おわり・・・・・・・・・・・・・・・




説明をする東海林次男さん

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