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大村神社 山口市 大村益次郎を祀る神社 

2016年06月03日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

大村神社 山口市 大村益次郎を祀る神社
長沢池のほとりに鎮座


池の中にも鳥居

神社入口鳥居


神社由緒

手水


 たくさんの杯状穴


 幕末の天才 大村益次郎


拝殿









文政七年(1824)
ここ鋳銭司村(の山口市鋳銭司)で村医者の長男として生まれる
防府(三田尻)でシーボルトの弟子、梅田幽斎に医学・蘭学を学んだのち豊後国日田の広瀬淡窓の咸宜園(かんぎえん)に入塾
                                 
弘化三年(1846)
大坂に出て緒方洪庵の適塾で学び塾頭まで進む  

嘉永三年(1850)
帰郷し四辻で開業、村田良庵と名乗る。 
愛想無く物言わぬため、村医者としての評判は良くなかったらしいです

嘉永六年(1853)
宇和島藩から招請され夫婦で宇和島に移る
村田蔵六と名乗る。


安政三年(1856)
宇和島藩主伊達宗城(だて むねなり)の参勤にしたがい上京し麹町に「鳩居堂」を開塾。蘭学兵学医学を教える。
                                安政四年(1857)
幕府の講武所教授となる 

     
     
 

         万延元年(1860)
江戸で 桂小五郎(木戸孝允 )の誘いで長州藩士となる。





         慶應元年(1865)
大村益次郎と改名、藩政改革における軍事体制の整備を担当

   

        慶應二年(1866)
幕長戦争(第二次長州征伐)において石州口方面の指揮を担当、浜田城を陥落させる。


                 

       
       明治元年(1868) 
   上野戦争において彰義隊を破る。


         明治二年(1869)
箱館の五稜郭を制圧し戊辰戦争が終結。
兵部大輔に就任。 
 同年9月4日、京都三条木屋町上ルの旅館で刺客に襲われ重傷を負う、 大坂鈴木町の病院に入院し蘭医ボードウィンの手術を受けるが、敗血症のため容態が悪化、11月5日死去。


司馬遼太郎「花神」碑





拝殿内


昭和52年(1977)放映の大河ドラマ「花神」ロケ
大村益次郎役の中村梅之助とイネ役の浅丘ルリ子


肖像


本殿


境内鳥居から

益次郎の墓
かつてはここに大村神社があり、鳥居が残されています








左、益次郎の墓 右、夫人お琴の墓

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