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雑感日記
青野ケ原のモトクロス
2011年01月30日
テーマ:テーマ無し
★『モトクロス黄金時代』という雑誌が八重洲出版から発行されている。
つい先日の、NPO The Good Times の新年会に、山本隆君が『自分の記事も載っている』と持参したものを見せてもらっている。
日本のレース時代の幕開けの記事のいろいろと一緒に、『カワサキのレースのスタート』ともなった、伝説の『青野ケ原モトクロス』の記事が4ページにわたって記載されている。
私自身も当時既に二輪営業の担当をしていて、直接ではなかったがこのレースに関していろんな思い出もある。
それこそ『カワサキ単車の昔話』の頂点に立つ話なので、知っている範囲で纏めてみたい。
★記事は、この4枚で構成されている。勿論ちゃんと取材をされた上の記事だから、その通りなのだと思う。
私は当時営業部にいて同僚の故川合寿一さんがマネージャー役をしていた。
記事の中にもあるようにこのレースが社命で行われたものではなくて、一部の人たち、それも中村治道さんや高橋鉄郎さんなど技術部というよりは、生産工場サイドで計画されたものであったことから、社内の状況はむしろ批判的な目で見る人の方が多かったのは、職制上から言えば当然かも知れない。。
そんな中で数少ない支援者のトップは、営業の故小野助治次長であったことは間違いない。
中村さんや高橋さんがまだ掛長の時代で、当時の部課長でそんなに積極的に応援した人はいなかった。当然のことながら予算などなかった。私は営業部の管理掛にいて金の管理などは担当だったのである。
川合寿一さんがマネージャーような役割を担ったのも小野さんの指示であったし、
『金を都合してやれ』と私に指示を出されたのも小野さんなのである。何となくそんないい雰囲気を持った『おのすけ』さんであった。
そんなに大金ではなかったが、営業部が都合できるぐらいの金を『ある意味ゴマカシテして捻出した』というのが、私の青野ケ原のレースに果たした役割であった。
この記事の最後にある当時のトップの人たちも含めての記念写真には、文句を言ってた部課長さんも並んでいるのを当時はは、『結果が良ければ変わるものだな』と思って見ていたものである。写真の後列真ん中、背広姿、眼鏡をかけている方が『おのすけ』さんである。
★このレースのきっかけとなった鈴鹿のレースの強烈な印象は高橋鉄郎さんから何度もお聞きしている。
このチームのリーダーの役割を果たしたのは中村治道だった。強烈な個性でこのイベント?を引っ張っておられた。最初のページの一番左の方である。
レース当日風邪か何かでダメだったので、高橋さんが指揮を取られたと高橋さんご自身からお聞きしている。
マシンを作ったのは、故松尾勇さんとあるが、それは間違いない。
松尾さんは兵庫メグロの故西海さんが、カワサキでレースをさせるために兵庫メグロから送り込んだ人材なのである。後のF21Mもエンジンは故安藤さんだが、フレームを設計図もなしに仕上げたのは松尾勇さんであった。
初出場のカワサキが、なぜ1位から6位まで独占できたのか?
現場を見たわけではないが、当日は雨で水たまりがいっぱいできて、スズキやヤマハに乗ったライダーたちのマシンはみんな止まってしまったようである。カワサキの防水対策は完ぺきで、カワサキのマシンだけが完走したようなレースだったようである。山本隆君などもヤマハで出場していたのだが、止まってしまったのだろうと思う。
レースなどどんなものかも解らなかった私などは、水しぶきをあげて走っているレースの写真を見て、モトクロスレースとは水たまりなどの障害物の中を走るレースなのだと、正直そう思ったものある。
★このレースは単に、カワサキに優勝カップをもたらしただけではない。大げさに言えばカワサキの二輪事業の命運を分けたとも言えるであろう。
当時はまだ事業が軌道に乗っていたわけではなくて、B8の前のB7は、フレームの欠陥で大返品であった。
このまま事業を続けるべきか否か?
日本能率協会の大々的な調査の最中の出来事だったのである。このレースの優勝で現場の意気は上がっていたのを見て、その調査報告には、『末端の現場の意気高し』と記載されていたのである。
事業存続の一つの判断材料になったのは間違いない。
神様の天の恵みの雨であった。
このレースがカワサキの最初のレースのように言われているが、これ以前にも『カワサキ自販』などのレベルで、レース参加はなされていたのだと思う。
雁の巣や厚木や八戸などアメリカの基地周辺では、アメリカ人たちがレースをやるのに影響されて、盛んになっていったのではないだろうか。当時のカワサキ自販の小野田滋郎さんなどは、厚木にいたヤマハの三橋実を引きぬいたり、三吉一行くんにカワサキに乗せたりしていたようである。
その辺のところははっきりしていないが、メーカーサイドで非公式とはいえ大がかりでモトクロスレースに出たのは、『青野ケ原モトクロス』であったことは間違いない。
こののち、営業の川合寿一さんがレース担当となって、
『神戸木の実』の歳森康師、山本隆、『カワサキコンバット』の三橋実などと契約を結び、翌年の第1回相馬が原の日本グランプリに臨むのである。
それまでも、地方の草レースにばかり出て連戦連勝だったから、当時レースの実情など知らなかった私などはモトクロスはカワサキが一番と信じていたのである。
各社の強豪賀集まった相馬が原の日本グランプリでは、5位にも入れないのを見て『ビックリした』のを覚えている。
★そんな50年前の時代であった。
今日5時から、グリーンピア三木で、『神戸木の実クラブ創立50周年を祝う会』が行われて、出席する。
カワサキのレースの始まりは、世界の片山義美さんが主宰した『神戸木の実クラブ』とともに歩んできた。
『歳森康師、山本隆、金谷秀夫、星野一義、清原明彦、杉尾良文、など』のカワサキと関係のあったライダーたちが所属したクラブである。
そんな日に、『青野ケ原モトクロス』のことを書いている。
そんな時期に、『モトクロス黄金時代』という雑誌が八重洲出版から発行された。
何かのご縁のような気がする。
今は沢山あるバイク雑誌だが当時は、オートバイ誌とモーターサイクリストの2誌だけだった。
モーターサイクリストの酒井文人さんと確か関係の深かったMCFAJの方がレースの中心であったような気がする。
サイクリストは確か大橋さん、オートバイ誌は衛藤さん、衛藤さんは今でもお付き合いがあるのだがーー。
昔々のカワサキの昔話である。
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